エンドレス・ガーデン



片理誠『エンドレス・ガーデン』(早川書房

片理誠さん最新長編。当初その体裁を見て時間がまとまったときに読もうと考えていたのだが、面白くて一気に読み終えた。物語は『ガリバー旅行記』をベースに、何となくテイストが飛浩隆の<グラン・ヴァカンス>とダンテの神曲の展開が、イーガンの『順列都市』あるいは『ディアスポラ』世界で展開される感じの物語、という感じかな。ただし、これだけではく「謎解きの要素」が絡んで、ある種ゲームブック的な感覚で読めてしまう本格SFだった。見えざる小人の国といわれる量子コンピューターによって作成された仮想世界の崩壊を防ぐために、仮想世界の管理OSであるモスと彼女に目覚めさせられた擬似人格である主人公が、住人たちの個人空間である40万もある<不可侵特区>を旅しながら、管理サイドの10個のアクセスキーを見つけるたびに出かけるというストーリー。実に理知的で、知的好奇心を刺激するSFでありました。

システムを管理する10人の不可侵特区に進入し、彼らの望む謎を解き明かすもの。特に第9章の「罪人たちのジレンマ」はマッチングに関する推論アルゴリズムが提示されていて面白い。ファンタジー仕掛けのものもあれば、ミステリー仕掛けのものもあり、<不可侵特区>という区切りをつくり、自然にオムニバス的に魅せることで、最後のSF的収束をもたらしているのは見事。うまく雨燕のメッセージを断片的に(あるいは他の人たちのメッセージをゴースト的に)残すことにより、10個のストーリーに連続性を与え、CLに起こったことを明らかにしていく。ゴーストスキャンされた人たちが、量子コンピューターの中で永遠の生を繰り返す世界。<不可侵特区>(ダンテの地獄篇的、あるいはガリバー旅行記的な個人の嗜好が極端にデフォルメされた世界で)で、10人の知恵者の出す、チューリングテスト的な試練が与えられる。その試行課程はモンテカルロ法的な、多項式時間での解散策の様子を、うまく試行の繰り返しを利用することで、エンドレスな時間の牢獄の様相(ただし多項式時間で解ける感覚)を表現している。

モスとエンデの<青い鳥>(10つのキー)を探す旅は、人々の美意識や選好を極端にデフォルメした世界になっており、多項式時間で解けるとはいえ、実にいやらしいエンドレスな墓場になっている。大局的に見た場合、大数の法則により、試行はある程度、エンデたちの行為は、「正しいアルゴリズム」にあたり、解となる確率に収束していくものの、その繰り返しの感覚こそにエンドレスを感じてしまう。むしろ無限と思われる(ただし、量子コンピュータ自体は有限なので、リソースの限界がある。そのあたりの問題も本書では面白く扱われている)。40万の墓場=地獄をめぐる旅は、改めて人は有限にしか存在を許されていない、と感じさせると同様、つねに何らかの制限が伴うことで、無限への存在となりえることを否定されているのかもしれない。

興味深かった第9章は、囚人のジレンマをベースにした繰り返しマッチングのゲームである。このゲームでは賛美歌の楽譜を5枚得るゲームで、カードの強弱によって楽譜を得ていくというもの。カードの強弱はランダムに与えられ、10人のプレイヤーがランダムに与えられた楽譜5枚を選択するというもの。楽譜が揃えばよいので、順列は考えない(ただし、楽譜が読めなければ正しい賛美歌かどうかがわからないため、そろえることができない。この時点で情報格差が出るため、フェアなゲームではないのだが、とりあえずそれぞれの楽譜に50番目までの番号をつける。正しい賛美歌の組み合わせについて(たとえばここではもろびとこぞりてを1〜5までと番号を振る)と、50組の楽譜から5枚の組を選ぶ組み合わせは、50!/5!(50−5)!である。ある選び方(ここでは、1〜5が揃ったものとする)が決まれば、残る45枚から5枚を選ぶことになる。これを行うと以下のような組み合わせになるので、ものすごい大きな組み合わせになることがわかる。つまり、50C5×45C5×…×10C5なので、そろえるだけでも大変なことになる。またこれにゲームの勝利確率、カードのランダムな配分、ランダムマッチする自分以外の9人が自分の欲しいと思っている楽譜を1枚でも持っている確率とを考え合わせると、ぞっとするような天文学的なゲームになる。

面白いのはこのゲームは「無限繰り返し」ゲームの構造になっているということである(プレイヤーは、条件を満たさなければリンボに戻されエンドレスにやり直すことができる)。そのため、一回きりのゲームであったのであれば囚人のジレンマ構造のままゲームは永久に続けられることになるのだが、無限繰り返しゲームであることに気がつけば、十分に皆が協力してベストな状況になりうる(言い換えればパレート最適な状態にもっていける)ことを示している。ただし、そうするためにはプレイヤー間の情報の非対称性を解消し、「学習効果」を入れることにより、不完全情報ゲームの構造を変えて、ベストな解を得るようなアルゴリズムをエンデは発見する話しであるといえる。不確実な情報をいかに確実に変換していくのか、そのアルゴリズムの探索であるといえる。当初は探索プログラムを打ち込み、様子を見るものの、ランダムマッチする相手もまた学習することに気がついたエンデは、「囚人のジレンマ」の状況を「協力解」に持っていくアルゴリズムを発見した、といえる。その意味で、R・アクセルロットの有名な実験(繰り返し囚人のジレンマの利得構造を持つゲームにおいて、プレイヤー間の戦略で一番利得が高かったのは「相手が協力すれば協力。もし裏切ればそのまま裏切る」という戦略であったことは有名)とも整合的で、興味深い。

もちろんその他の章についても、様々なトリックがあり(人間の認知の限界や、計算能力の限界などを利用した謎など)、こんなエンドレスな状況にはなりたくない、と思ったり。ラストは驚愕な収束の仕方をしていて、正直びっくりした。SFJの「終わりなく、終わりない」とあわせて読むとエンドレスな感覚が(ヒルベルトホテル的な)味わえる一冊。超お薦めです。