ヴァーチャル・ガール



エイミー・トムスン『ヴァーチャル・ガール』(ハヤカワ文庫SF)

シンギュラリティものの傑作?ということで、普通に面白かった。ロボットオタクの超天才が、自分好みのAIを搭載した美少女ロボットを作って、AIが禁じられいる世界で、父親の支配から逃れるため、二人は逃亡の旅に出る。ところがオタクが怪我をして、一緒に逃亡生活をしていたマギーは自立した個として、人間とその社会を理解していくという流れ。ある種、男の夢を搭載したような従順なAIロボットを作り上げるという流れは、日本の漫画・アニメにありそうな展開で、読んでいる際に鉄腕アトムを思い出した。全体的にアメリカの様相をきちんと考慮にいれた小説で(ニュー・オリーンズが大洪水で崩壊とか、予言していましたね)、多様な民族の間での助け合いの精神があったりと、いい話になっていました。

さいころより人工知能については、身近に専門家がいたため、作者が特に意図したかった部分は楽しめたと思う。ミンスキーという名前をAIにつけるあたりも、なかなかよい。特にコンピューター内にいたAIが視覚などを得たときに、混乱するシーンはフレーム理論で提示される問題を取り扱っていて、大変面白かった。つまり人間が割と当たり前に選択している事象(例えばモノを知覚する際の処理など)というのは、実は人工知能にとってはプログラムされていないものの処理ということで、情報処理量が多すぎて、処理不能になってしまう。その際に以下に人間の行動規範などを定性的に分析し、それを取り入れる方法(定性推論)をAI自身が行ってしまうあたりは不自然なのだが、それは小説なのでよしとする。ただ、同類のAIに出会ってお互いアップデートするということで、結果的にシンギュラリティ的なネタを直球でやっているので、その方向での人工知能のアップデートの可能性はあり得てもおかしくはない、ということだろうか。

僕がこういうテーマを扱った小説を読んでいると、AIによるシンギュラリティの可能性は難しいように感じてしまう。なぜなら、物事を白黒つけずにあいまいなまま、有限のループに行動を抑え込むことが、実は[0,1]区間のようなはめ込み、すなわち無限を有限の中に閉じ込めることができているのではないか、と思う部分はある。データのカテゴリー化の話、ということになるのだろうか。

とまあ、ムーアの法則やらなんやらでいかに技術進歩が上がっても、自己でアップデートできるようなエンジンというのはなかなか難しいのではないか、というのをこの小説を読んでいるときに感じたと同時に、こういうことが起こってほしいと思うのは、個人的な願望とはいえ、将来的には十分起こりうる可能性を秘めているという意味で、興味深く読むことができた一冊だった。万人にお勧めできる小説ではあります。