アンナ・カヴァン『氷』(バジリコ)

藤原編集室さんのおかげで、23年ぶりに全面改訳版が実現。本当、ありがたいことです。内容面ではサンリオSF文庫版からは大きな異同はないものの、訳文がかなり手直しされていて、やや印象は変わっていた。B・オールディスの序文も再収録されており、この序文はカヴァンという作家を読み解く上で重要なものだと僕は感じた。直感と感性で描かれた物語(その点では物語の構成を考えて硬質的な物語を構築している山尾悠子とは対置するのだが)は、「氷」という象徴、すなわちすべてを冷たく包み込む物質により、少女と主人公の関係、氷におおわれた世界の純化を求めるカヴァンのイデアそのものである。読者は知らぬ間に彼女のイデア世界に引き込まれ、自分自身もまた「氷」を構成する一部と化していくだろう。

アンナ・カヴァンは訳者山田順子氏が編集長を務めたNW−SF誌で積極的に紹介され、カヴァン名義でのデビュー作でもある「アサイラム・ピース」の部分訳が掲載されている。この短編集はカヴァン自身の体験が色濃く反映された半自伝的短篇小説群で、閉塞感と絶望というオブラートに包まれたピース(断片)である。ヘロイン中毒でもあったアンナ・カヴァンはサンリオSF文庫から出ている『ジュリアとバズーカ』においても、ヘロインによってブーストし、変容する彼女の姿が美しく、そして絶望的に描かれている。以前感想文を書いた際に、カヴァンの小説には「穢れ」というものが感じられないという印象を受けた、と書いたのだが『氷』はまさに純度100%のヘロインのような強烈な白のイメージのある小説だ。

『氷』は、架空の地を舞台にした男女の愛憎劇を描いた小説だ。地球規模で異常な寒波が襲いかかり、氷によって閉ざされようとしている世界で、男(私)はかつてより気にとめて、世話をしてきた失踪中のアルビノの少女を求めて、地の果てまで追跡する。風景描写はカヴァンのペンネームに関係するカフカ的である。謎めいた描写、徹底して排除された固有名詞。そのことにより、氷による緊張感およびカフカの『城』的な迷宮感と閉塞感が凝縮され、まさに100%の純度までに高められていく。この異常なまでの硬質性は読者をある種の高みに昇華させると同時に、カヴァン自身の孤独を物語から感じることになるだろう。つまり、カヴァンは意図しないまま、障壁を無意識に張り巡らせることにより、『氷』の中の純化と絶望感を織り交ぜただと感じる。さらに主人公と対比される長官は、権威の権化ではあるが、主人公もまた彼に惹かれ少女を支配しようとするあたりに、様々な思惑が秘められていて、戦慄する部分はある。

『氷』の世界にあるのは、絶望、支配、服従、暴力、哀憐であって、愛情ではない。少女への愛が原動力になっているのかもしれないが、少女は私の庇護から逃れ、自由へと羽ばたこうとするものの、別の罠に絡め取られてしまう。この感覚は少女=鳥かごの鳥の状況であって、カフカ的には私=鳥かごであって、「鳥かごが鳥を追い求めている」状態をカヴァンは見事にこの物語で描いたのではないか、と僕は感じる。少女と私を巡る関係性がいかに語るのが難しいのか、束縛されたいと同時に自由でもありたいという関係性を継続するのがなぜ難しいのか、カヴァンは見事に『氷』の中で提示している。氷が融ける日があるのか、それは読者の想像力にゆだねられている。

今読んでもまったく古びていない、というのがすごい。思弁小説好きな人は必読の一冊。そうでない人もこの圧倒的なヴィジョンに酔いしれてほしい。