治療者の戦争



エリザベス・アン・スカボロー『治療者の戦争』(ハヤカワ文庫SF)

 この本を取り上げたのは、当時の僕がまだこの本を読む準備ができておらず、ようやく最近になって読めるようになった、ということがある。偶然僕の指導教官が南ベトナムから命からがら留学して、アメリカで苦労した人だから、この小説で描かれていることがが何となく皮膚感覚で感じられたことがある。さらに丁度僕がSFに興味を持ち始めたころにはすでに絶版だった本でしたorz...とまあ今はSFへの興味のベクトルが変化してきている、というのがだんだん自分でもわかってきていて、解釈の立脚点が「経済学」を軸としてできるようになったから、というのはある。こういう解釈もある、という程度で本書を手にしていただければ幸い。

 SFを本格的に読み始めてほぼ10年ほどが経過したわけだが、10年間SFを読んできてもまだまだすべてを読み切れていないので、そうこうしているうちに一生が終わってしまうような気がしている。とはいえ、たくさんの本の山の中で偶然手に取った一冊が、自分のテイストに合うまごうことなき傑作だったときは、本当に幸せな気分になる。本が増えてくると様々なデメリットもあれど、本をキープしていることで思いがけない発見をすることもあるので、ぜひ足を稼いで本を探してほしい。というのは、やはり苦労して発見したときの喜びというのは多分に別格だからだ。そしてもう一点としては、ウェブ書評が少ない本というのを取り上げていきたいと思っていることもあり、極力過去のSFの有力な賞を取った作品を今は暇があれば読むことにしている。

今回は以前より読もうと思っていたのだがそのまま入手から10年以上が経過してしまった本を取り上げる。その本とは1989年度ネビュラ賞受賞作のエリザベス・アン・スカボロー『治療者の戦争』(ハヤカワ文庫SF)を取り上げたい。この本を取り上げるきっかけは、体験した人にしかわからないリアリティがふんだんに使われたフィクションだったからである。ベトナム戦争中、看護婦として従事したスカボローがアメリカ軍のエゴ、ベトコンのエゴ、そして戦争とは関係ない原住民の意識を生々しい筆致で描いた作品だったからである。死と生が交錯する戦場の中での奇跡。看護婦として人々を救うために人種を超えてプロとして立ち向かう姿を描くことにより、ベトナムで受けた彼女自身の癒しにもなっている作品でもある。

そしてこの作品が何より重要なのは、侵略する側、侵略される側、そしてその狭間に立たされる立場の弱い一般民衆の姿を描いたことであり、このことはまさに世界の各地で侵攻しているころでもあるのだ。平和を謳歌している我々にはなかなか気がつかないことではあるが、戦争は罪なき人々を傷つけ、時には不条理な仕打ちをもたらす。その顕著な例がベトナム戦争であったり、湾岸戦争であったり、ルアンダの虐殺だったりするのだ。スカボローは、侵略する側の立場で従軍したにも関わらず、医療という現場で活躍したこそ、敵味方わけ隔てなく、「癒し手」の立場から俯瞰的に戦争を多面的に捉えることに成功した作品である。だからこそ、ネビュラ賞を受賞したというのは納得がいく。

ベトナム戦争湾岸戦争を体験した帰還兵のその後は映画という形で我々は体験することができる。最近では湾岸戦争後に世間になじむことができず、イラクでの体験がフラッシュバックしている帰還兵の物語を描いた映画ジャーヘッドなどがある。最近ではデイヴィッド・マレルの『ランボー』等もあるが、社会が彼らを受け入れてくれず逆に厄介者として扱われる状況というのが長らく続いてきたのは否めない。スカボローはキティという分身を、戦争に従事する看護婦(キティは中尉として従軍)としたことにより、男性作品にはないプラスαの視点を付け加えることに成功したのではないか、と感じた読者も多いだろう。やはりベトナム戦争体験者であるジョー・ホールドマンの作品『終わりなき戦い』(ハヤカワ文庫SF)とも共通する点は、現場を体験した人間にしかわからない恐怖というのを両作品はフィクションという形で昇華したことにある。両者に共通している点はベトナム戦争を体験したものは、時流が変化するということであろう。国のために、理想のために向かった人々が厄介者扱いされ、果てにはゴミ扱いされる現実。残された道は、終わりなく戦うか、死ぬしかない。

『治療者の戦争』で圧巻なのは、主人公キティが常に前向きに努力しながらプロとしてわけ隔てなく人々を救う姿にある。そのことがたまたまベトナム人のヒーラーからもらった奇跡のネックレスに投影されていく。けが人はけが人であって、差別すべきではないというスカボローの精神がひしひしと伝わってくる。前半部の病院描写はまさに圧巻としか言いようがない。そして第二部でのベトナムのジャングルのシーンである。糞の付けられたブービートラップ、人を喰う巨大な蛇など、いつ敵に襲われるかわからない状況をおどろおどろしく描く。特にキティと偶然行動を共にする黒人兵ウィリアムの変容はバラード的である。彼は仲間をベトコンの急襲により失い、一人さまよっていたのだがそのために彼の精神状態は常にベトコンに襲われるというパラノイアに侵され、人格までもが変容してしまう。こういう生死の境界をさまようということ、生きるという意志のすごさをこの作品は迫力ある筆致で描いている。まさに傑作に値する作品だと僕は感じた。