レイコちゃんと蒲鉾工場

北野勇作『レイコちゃんと蒲鉾工場』(光文社文庫)

『昔、火星があった場所』(徳間デュアル文庫)以来一貫して追求されているテーマ「自分とにせものの境界」を描いた北野勇作ワールドの一本。北野勇作は過去発表している作品の大半が、P・K・ディック的な世界を描いており、その描き方はディックほど絶望的ではない。むしろそれを当り前として(あるいは知らぬ間に諦念的に)受け入れている人々が描かれる。自分の境界をあいまいにするきっかけとなるのが触媒となるものがある種の人的に作られたデバイス、たとえばクラゲであったり、クマであったり、かめくんであったり、かまぼこであったりする。

そしてその舞台となる世界は大抵、北野勇作氏の住んだ場所、体験したことをもとにして描かれているので、妙に日常的なのである。この日常的で世界が連続している感覚、すなわち終わりなき日常性が、大がかりな舞台設定を作ってそれをいきなりぶち壊すディックとは異なる点にある。つまり世界のフレーム自体が偽物ではなく、世界自体はそのまま認識できるレベルで残存するという点がディックと異なり、読者に解を提示しないまま、これから起こる事象を単にほのめかしてフェードアウトする。このファジーな感覚を保存したまま、すなわち僕ら自身の認識に依存させて収束させることのできる作家として北野勇作はそれを自然に行える書き手だとぼくは感じている。

さらに主人公は新人あるいは下っ端サラリーマンであるということに気がついた人も多いはずだ。レイコちゃんと蒲鉾工場では、主人公はかまぼこ工場に勤務する青年。何となく憎めない上司の指示で自立した蒲鉾を捕獲したり、工場で起こる奇怪な出来事を解決しようと腐心する。そしてその過程で彼自身にもまた変化が起こっていく、という過程はまさに『どーなつ』や『クラゲの海に浮かぶ舟』(徳間デュアル文庫)でも追求されたテーマである。本書の場合はそれがより露骨で、ややホラー的な要素も加味され、実にバラエティに富んだ内容になっている。本書内でもSF小ネタが投入されていて、途中何箇所か読んでいて吹いたところもある。またさらにいうならば、北野勇作はあえて緩やかな組織(のちに謎は明らかになる)という空間に物語を限定することにより、大域的になりがちな物語を局所的に落とし込むことにより、読者は北野作品に測度を与えること、すなわち読者は北野勇作ワールドの距離を測ることに成功しているように思える。

偽物というものをどう受け入れるのか、それは環境要因であるのか、それとも自分の効用最大化から来ているのかという問いに対して、北野はそれは環境要因(自然とそうなるもの)であるということを強調する。自分が決定する要因が北野勇作ワールドには基本的にはない気がするのは、曖昧ながらも強固に作られた世界設定に世界が依存しているからである。その点は、主人公がゾンビのごとくシステムに組み込まれ、システムを構成するパズルピースとしての役割しかない、という点にある。これは「世界認識なんてファジーだよ」という北野のメッセージがどの作品にも込められていて、実はナイフエッジの均衡のもと世界は成立しているということをどうしても読者は感じざるを得ないからだろうか。意外と僕らの認識は、システムから与えられたもので、知らぬ間にリセットをかけられているのかもしれない。という感覚を与えてくれるだけでも、北野勇作作品を読む価値は絶対あるし、読んで欲しいと思う。

ただ光文社文庫という媒体から出ているためか、おおっぴらにSF!といえないところが難点か。レイコちゃんとアツコさんというネーミングに吹いた僕ですが、文体も飄々としていて、ある種落語みたいな流れなので読みやすい。でも内容はある種のホラーであったりするのでその手の話が苦手な人は注意。