脳髄工場



小林泰三『脳髄工場』(角川ホラー文庫)

ホラー短編集なのだが、どちらかというとSFホラー寄りの短編集。久々に小林泰三の本を読んだわけだが、この短編集は小林泰三らしさがよく出ていたと感じる。叙述によるトリックホラーとロジックホラー、生活習慣と倫理観のずれをうまく利用した短編から成る。「酔歩する男」以来小林泰三の得意とする制御理論や確率論を使ったホラー(これを僕はロジック系ホラーという)の「脳髄工場」「影の国」「声」の三つが素晴らしい。「声」は「酔歩する男」の系譜に属する話で、数学でいうところの蓋然性の問題を最適性原理、最適経路に関連するオイラーパスの話とつなげて、最後に最適な解に収束させるところに持っていくあたりが素晴らしい。観測問題なども入るわけだが、この3篇は工学的に読み解くとさらに面白い気がする。

「声」の面白さは、有限期間の計画問題(主人公の女性のゴールは最後に示される)をベルマンの最適性原理と逆向き帰納法を自然と利用したところにある。つまり、この書き換えにより、主人公の女性のゴールとなる最適解に至るまでの計算量を節約していることを記述したホラーだからだ。つまり、実現可能なパスである蓋然性として存在する私から電話を受け、その電話によりパスを最適経路に持っていく試行錯誤の過程でもある。つまり何らかのvalue function(価値関数)を時点ごとに計算し、その計算の結果により自分の効用から後ろ向きに帰納し、それを収束させていくというアイディアが見事に生かされており、最適制御理論をホラー小説化したもの、といえる。

「脳髄工場」の面白さはESS(進化的に安定した戦略)が冒頭に組み込まれていることにある。つまり自然脳髄を選ぶ人々と、そうでない人々。進化的に安定である戦略となるのが、人工脳髄を選ぶ人たちにあることだ。この小説は「人間機械論」とパソコンとソフトの関係がベースになっていて、ラストはグロテスクな悪夢的位相へと展開される。これまたあっと驚くオチなのだが、ゲーム理論のロジックが組み込まれつつも、人生における最適経路の問題がある種の設計の問題と絡んでいくので、侮れない。倫理的な問題もちりばめた上で、非常に計算されて書かれたSFホラーなので、これは強くお勧めしておく。

小林泰三作品の面白さは、自然科学ではごく見られる問題、たとえば確率などをスーパーナチュラルのコンテクストに持っていくと、大変恐ろしい存在になりうることを示していることにある。これはまさにわれわれ自身が知らない公理系の海の中で(それも無矛盾性だけで)理論を構築し、その中で生きているということにあるからだ。つまり境界の上で現実を認識しているわけだが、実はその認識という幻想こそが小林泰三がホラーというフィルターを通じて語りたかったことではないか、と僕は感じた。他の短編についても面白いのだが、語ると面白くないのでこれぐらいにしておく。さて他の本も読んでみるかな。