ドゥームズデイ・ブック



コニー・ウィリスドゥームズデイ・ブック』(ハヤカワ文庫SF)

読んだのは5年前に出た文庫版。もう5年経過ですか…。

映画化して見てみたい作品。ウィリスは本当に生き生きとヴィジュアルに直すのがうまい作家だと改めて感心した。SFで権威ある賞であるヒューゴー、ネビュラ、ローカス賞トリプルクラウンに輝いた作品なので、時間のあるうちに読んでおきたかったため。例の5人組のフェアでも取り上げられていたので。ただ文庫本で1000ページ以上ある本なので、読むのに躊躇していたのだが、本の山から出てきたこともあり、また本の山の中に埋もれてしまうのがいやだったので重い腰をあげてようやく読んだ。ストーリーテラーとしては一流のウィリス、流石という作品。特に下巻に入ってからは『航路』(ヴィレッジブックス)同様、怒涛の展開になるので一気に読める。このカタルシスと残酷さは『航路』同様素晴らしい。このことこそが、まさに彼女の作品を魅力的なものに仕上げているのではないか、と感じた。でも夏に読む作品ではないというのは、中世イギリス、クリスマス前後なので冬にしっとりと読んだほうがよかったかも。雪のシーンはカナダのオタワ郊外を想起しました。

表題からある程度推測できるように(ウィリアム一世の土地台帳の意味もあるけど)、まさに運命の物語である。この表題はキヴリンのデータ記憶装置の名前でもある。主人公のキヴリンは実習の一環として14世紀のイギリスへとタイムトラベルしたのだが、そこでさまざまな困難に遭遇することになる。そして現実世界においても、パンデミックなインフルエンザ(これまた発生源が皮肉としかいいようがない)が流行し、オックスフォード大学でもインフルエンザによる隔離が行われる状況に。そしてそのあおりを受けて、朦朧とした状態でタイムトラベルの操作を行った技術者のせいでキヴリンはタイムトラベル予定の1320年からペストが猛威をふるった1348年のクリスマス時期にタイムトラベルしてしまう。混沌と死の中ではたしてキヴリンは21世紀に帰還できるのか?

『航路』同様、登場人物が多いので読者は注意して読むべし。特に21世紀オックスフォードの話は誰が誰だかちょっと最初わからなくて、困惑。物語を読み進めていくと自然とはまっていくので、とにかく読み進めるべし。物語は現在(21世紀)パートと14世紀パートの二部に分かれ、それぞれ二つのパンデミックによるパニックが人間模様を交えて展開されていく。当初は静謐できめ細やかな物語描写によって、登場人物の心理や戸惑い、文化・習慣の違いが書かれていく。特にキヴリンのパートでは、古英語、ラテン語、ドイツ語派生の英語など現代英語と旧英語の大きな差異がもたらすコミュニケーションの断絶の部分が生々しく描かれ、キヴリンの機転により見事解決する。キヴリンが出会うギョーム家の人たちとの交流などがやさしいまなざしで描かれていく。

21世紀パートと14世紀パートの構成は見事で、まさにカードの裏表という展開を見せていく。書記=バードリ、ダンワージー=ローシュのような対応は読んでいて感じるはず。特に14世紀での風俗の違いは、ある種ぞっとさせられるものがある。これは過去読んできたタイムトラベルものであまり感じさせられないことなのだが、ウィリスの作品ではそのあたりもきちんと強調される。考えてみれば14世紀人の生活慣習は僕らとは全く異なり、現代人の基準から見ればヨーロッパ人は不潔(だからヨーロッパでは香水が発展したわけで)で敗血症でしんだ人も多いということを考えれば、ぞっとさせられるものが多い。ワインで消毒するというシーンがこれほどなまなましく感じられる小説は本書ぐらいだろうか。

パンデミックとなってしまった流行の病への対応の差というが見事なコントラストとなり、下巻ではウィリスは容赦ない筆を執る。ある種呆然とするのだが、ペストの流行というのがこれほどのものだったということを知らしめさせる衝撃を読者に与えてくれることだろう。『航路』同様、素晴らしいラストで(個人的には『リンカーンの夢』も好きなんだけれども)SFという枠を超えて普通にいろいろな人にお勧めできる一冊。この本を翻訳した大森望さんの力は大きいかと。犬勘も早く読むことにしよう(でもどこにあるかな…)。病気に対する生理的なレベルでの嫌悪感と恐怖、ヒューマンドラマがうまく組み合わさった傑作。3冠とったのはむべなるかな。

最初プロバビリティって何かなーと思ったら、装置の名称だということがわかり納得。蓋然性の話が出てきたりしていたので、ちょっと混乱したので付記。