追憶のハルマゲドン

カート・ヴォネガット『追憶のハルマゲドン』(早川書房)

2007年4月に自宅の階段の転倒による脳損傷により惜しまれながら亡くなったヴォネガットの遺作短編集。序文は息子マーク・ヴォネガットの手によるもので、ヴォネガットの人柄(特にヴォネガットが文章上達に関してマークに伝えた話は一読の価値あり)がよく出ている名エッセイ。収録された短編とエッセイは、ヴォネガット自身が第二次世界大戦中に自身が遭遇したドレスデン爆撃の影響を受けた短編を中心に編まれており、まさにヴォネガットの脳裏にある忌まわしいトラウマが直接的に前面に出た作品集となっている。

過去彼のエッセイは、来月早川で文庫化する『死よりも悪い運命』を除き、すべて読んだことになる。この短編集を読めてよかったと思うのは、ヴォネガットには常にドレステン爆撃による無差別大量殺人(広島、長崎同様)というのが脳裏につきまどっており、そのことが個別の作品に色濃く出ていることがよくわかる。ここに収録されている短編はどれもペーソスとブラックユーモアに満ちた文学で、テリー・サザーン的な様相を帯びている。第二次世界大戦中における個人的な体験が反映しているせいもあり、普通にはちょっと受け入れにくタイプの短編が多いのだが、ヴォネガットが好きな人には「あ、なるほどこういう体験をしているから、こういう作風になり、小説に寓話として自分自身が感じていること、体験を織り込んでいけたのだ」とわかる仕組みになっているのがうれしい。純粋にいえばSF風味の作品は少なく、むしろ戦争をしらない僕らの世代の人間が読むと、戦争を体験した人たちがどのような心の傷を受けて、それが色濃く作品に反映しているのかを知ることができるという意味で、素晴らしい。

もともと他のエッセイでもヴォネガットは文化批判、アメリカの行く末を心配した形でのエッセイや小説を書いていることへの理解がこの短編集を読んでさらに身近に感じることができた、と思う。正気でいるべきなのか、狂気に陥るべきなのか、それが問題なのかもしれないが、すくなくとも僕らにはヴォネガットがいた、ということこそがいまの世界で僕らが正気でいれることの理由づけなのかもしれない。とまあ、僕は文学を専攻しているわけでもないので、見当違いのことを書いているかもしれないのでアレなのだが、個人体験に基づいた戦争の断片を文章という形で残していくことは大切なことだと僕は思う。どの時代にも読者がいて、その読者たちがどう感じるかは別としても本書に収録された短編集を読むことにより、ある種の相対化の尺度を得ることができるのではないか、と僕は思う。個々の短編やエッセイについては、ぜひ直接読んでヴォネガットのダークサイドを感じてほしい。

イラストなどが収録されているので、しばらく文庫化はなさそうな感じですが(でもヴォネガットなのでわからないけど)、ヴォネガットファンは買いの一冊。