チャパーエフと空虚



ヴィクトル・ペレーヴィン『チャパーエフと空虚』(群像社)

うわっ、これはすごい小説。ソローキンの『ロマン』(国書刊行会)級の破壊力がある小説。内容もさることながら、小説の構成方法が実に見事としかいいようがない。あっぱれである。

読み終えて脳裏に浮かんだのは、ル=グィンの『天のろくろ』(サンリオSF文庫)と筒井康隆『パブリカ』(新潮文庫)のこと。20世紀、ソビエト連邦の崩壊時のロシアの世界を描いたメタフィクション。物語の内容、チャパーエフに付随された象徴性を考えると読み方はたくさんあり、その解釈は多義にわたりそうだ。ロシアの混沌した状況は「空虚(プスドク)」によって希釈され、むしろ空虚によって支配されている状況にある。その空虚という象徴を夢や妄想という実存しない空虚によって多重に世界を作り上げる。つまりマトリョーシカ人形のように、開いても開いても空虚だが、空虚は後に縮小して一点に収束していく。つまり、閉集合を縮小していけば、無限の先はゼロに収束する。まさにこの物語は空虚で出来上がった小説なのだ。そしてそのやり方は[0,1]空間のように有限の中に無限が広がるような永遠の空虚の物語である。

物語の構造は、夢野久作ドグラ・マグラ』的な迷宮感がある。主人公のピョートルの現実(実存)と空虚が入り乱れ、実存と空虚が共存していく展開になる。精神病棟を舞台にしているという点、共産主義を信奉する革命軍「赤軍」と諸外国から支援された富裕層の革命軍「白軍」が入り乱れ、帝政ロシアを打倒する時代に活躍した英雄チャパーエフと彼を支持したピョートルのパート、そして治療中に夢見た奇妙な夢という部分集合によって構成されていく。そのシーンはダンテの『神曲』の地獄めぐりに匹敵するような、暗くおぞましいエピソードが連鎖している。

妄想の物語として片づけるのは簡単だが、その中心にあるのはロシアというものを支配する「精神性」にある。それは日本企業に就職しようとするセルジュークのエピソードにあるように、文化との対話のシーンである。歪んだ日本像ではあれど(笑)、治療中の中で見る夢の夢の世界でペレーヴィンは徹底して擬人化したロシアの内部にある深層を掘り起こしていく。まさにすべてが凝縮した究極の小説、である。その課程はサイコセラピー的であれど、分析的ではなく、残るのはただ「空虚」のみ。小説自体も内モンゴルで見つかった手記という体裁をとり、虚構の虚構でつくられた小説であるということを勘案すれば、挿入される「夢」自体が虚構の上につくられた意味を考えていくと、ペレーヴィンのメッセージに戦慄する人が多いはず。つまり、読んで解釈する意味はなく、ただドタバタ劇を楽しめ!ということ。そう、まさにゼウス・エクス・マキーナを地でいく破壊力の高い小説なのだ。

ということで、人を選ぶ小説ではあるが、大変面白い小説だった。