高い城の男




フィリップ・K・ディック『高い城の男』(ハヤカワ文庫SF)

土井宏明氏による新装版のカヴァは黒を基調とした背景色で、ナチスの鷲の紋章が赤地で描かれたもの。以前の装丁も好きだったのだが、今回の装丁は物語の内容にも即していてよい感じ。1963年度ヒューゴー賞受賞作品だが、現在読んでもまったく古びておらず、むしろ新鮮な感じで読むことができた。世界史の知識、特に日独伊三国同盟あたりからナチスのヨーロッパ侵略、太平洋戦争の史実を知っておくとディックがどこでどうSF的に設定したのかがよくわかる。本書はまた、ディックの追求する「偽物/本物」のテーマが色濃く出ており、物語それ自身もまた偽である同時に、本物であるという自己言及のパラドクス的な面白さも感じられる。これは『高い城の男』の中にでてくるキー的な書物『イナゴ』の存在にある。物語という虚構の中では、『イナゴ』は虚構の存在であると同時に、われわれの世界の現実を(ある種)描写しているフィクションでもある。このことは実にディックらしさを象徴していて、入れ子構造的な「真偽」を物語空間内に封印したように感じられる。

また本書の特徴は一見ばらばらに見える登場人物たちがそれぞれの立場よりつながり、一気に収束していく過程にある。ある種映画「クラッシュ」的な面白さがある。これは物語の組み立て方の面白さで、最初はつまらなく思えたものの、物語半ばぐらいになるとやめられなくなるぐらいに面白い。日本とドイツが世界を支配している世の中で、アメリカが分割支配されている中、アメリカ人は異なるカルチャーの狭間におかれ、アイデンティティの喪失に苦しめられる。中国の易経の影響によって、吉兆を判断しながら自分をとりまく状況を見極めていくというのが面白い。一方ドイツ帝国に支配された地域では、さまざまな陰謀が暗躍し、アフリカはドイツによって駆逐され、壮大な実験場になっているという有様。ユダヤ人に寛容だった日本は、その地域にナチスでは禁断とされる書物を発禁処分にせず、普通に売り出すことを認める。それが日本とドイツが第二次世界大戦に負けた世を描いたSF『イナゴ』である。

ディック作品を読み終えると常に、偽物と本物、区別がつかなければ実はそれでいいのかもしれない、という感覚にとらわれる。これは、物語自体が虚構であるのは事実としても、受け手である我々自身がディックの紡ぎだす物語からある種の恐怖を本能的に受容しているからではないかと感じるときがある。それはアンドロ羊でも、火星へのタイムスリップや、ユービックなどの作品でも徹底して作品内でテーマとして追求されている。ディックは、自分を構成すると思われる記憶などは実はそんなにゆるぎないものではないよ、ということを常に意識させてくれる作家のひとりである。本書では、人間の根源に潜む何かを痛快にえぐりだしており、現実世界とのある種のリンクを『イナゴ』によって作りだすことで、『高い城の男』が我々の世界の一部に存在するということをある種主張しているように思える。

魅力的な登場人物たちもさることながら、妻との関係を赤裸々に描くディックに人間味を感じられたのもよかった。時期を見計らって少しディック作品も読み続けていきたい。強く読むことをお勧めする一冊。