ウィーヴワールド



クライヴ・バーカー『ウィーヴワールド』(集英社文庫・上下)

酒井昭伸訳&アーバンダークファンタジーだったので読み始めたら、1000ページ以上あるボリュームにも関わらずほぼ一気読み。さくさく読めてしまった(ある種ダン・シモンズハイペリオン』(ハヤカワ文庫SF)っぽい感覚。翻訳者も同じだし)。バーカーは<血の本>と『ダムネーション・ゲーム』(扶桑社ミステリ文庫)を読んだきりで、超大作が数冊残っている(イマジカとか不滅の愛とか)ので、早く取り掛からないと。バーカーというと「ミッドナイト・ミートトレイン」のような作品が先に翻訳されたためか、モダンホラーの担い手というイメージが先行しているのだが、S・キングと同等(あるいはそれ以上)の優れたホラーの書き手だと僕は思っている。マイケル・シェイの『魔界の盗賊』(ハヤカワ文庫FT)の描写のよう。すなわち描かれる世界はグロテスクなのだが、決して眼をそむけることのできない美しいシーンが本書でも各所に出てくる。映画監督経験(『死都伝説』のクリーチャーたちのグロテスクだが愛らしい姿は今でも忘れられない)のあるバーカー。だからこそ彼は映像を文字に移し替える稀有な能力があると本書を読み終えて痛感した。

『ウィーヴワールド』のある対立軸(人間(カッコウ)と精魅、破壊するものと秩序を作るもの)は本書の主眼となっているテーマで、混沌と秩序のはざまで、滅ぼされるもの・滅ぼされざる者たちが均衡を求めて役割を果たしていく。その過程で容赦なく滅ぼされ藻屑となるものもいれば、上位の存在として高まっていくものたちもいる。人間の中の弱さを見せながらも、狂気と正気のはざまで混沌から秩序を生み出していく過程が実にすばらしい。本書の世界は、ある種の禍の存在<妖孽>から逃れるためにつくられた<綺想郷>。その絨毯の中に封織された美しい桃源郷を維持するもの、それを滅ぼそうとする意思との戦いが主体となる。下巻はややクトゥルー的展開(ハスター?とかヨグ・ソドートだし、妖孽のいる場所はルブアルハリ砂漠というところが…)になるのがホラーファンとしては楽しめる。

主人公キャルはたまたま自分の父親が飼育するレース用の鳩が逃げ出したときに、ある種の不思議な体験をある場所で感じる。そこにはそのことがきっかけで、キャルはある不思議なセールスマンの訪問を受ける。シャドウウェルと呼ばれるセールスマンは妖しの背広を着て、人々の望みをかなえる。彼の目的はイマコラータという綺想郷の魔女の望みを手助けすること、つまり綺想郷の入り口となる絨毯を見つけ破壊することだった。その絨毯の守り手のミミは老齢に達し死にかけており、死の床で娘のスザンナに絨毯を託そうとするのだが…。

日常にある不思議をうまく組み合わせ、かい離させていく手腕に圧倒される。そしてタベストリーの中に織り込まれた世界というアイディアはミクロコスモスへの我々の憧れをうまく具現化した話だと思う。また、バーカーの『ウィーヴワールド』の世界はゲーム的な位相をうまく組み込み、理性と白痴、純粋と混合、男性と女性、混沌と秩序という相反する対立概念をうまく組み合わせながら、『ダムネーションゲーム』でも追求された「何かを得ると何かを失う」という機会費用の構造がうまく組み込まれている。つまり「人でなし」になるための「力」をもとめたことへのトレードオフというのはホウバートであったり、シャドウウェルに代表されるような熱狂的な憑依がもたらす災厄こそがこの物語を象徴している。つまり過度に「力を手にいれるための代償」は何かを考えると、下巻での展開は納得がいく。

上巻での世界描写がずば抜けていることもあり、圧倒されたのは事実。ラストへの伏線(これはすぐにわかったのだが)もあり、実はある種の織物のような張り方がなされているので素晴らしい。下巻は収束を急いだ感もあり、ある種拍子抜けの面もあるが、<妖孽>の存在についてはいろいろと解釈ができる(ジンとか)ので、面白かった。翻訳が素晴らしかったのもあるのが、さくさく読めたのもこの小説が僕にとっては面白かったと感じられた理由じゃないかと思う。