迷宮1000



ヤン・ヴァイス『迷宮1000』(創元推理文庫)

創元の怪奇と幻想(旧帆船マーク)で出ていた本。内容はどちらかといえば、近未来の悪夢SFに分類されるグロテスクな物語。内容が内容なだけに、決して古びていない。ナチスドイツの台頭の前(1929年に本書は発表されている)にこの作品が発表され、出版されたのはすごい。中でも資本主義に内包されたグロテスクな悪夢像を赤裸々に描きだしつつも、資本主義社会のある種の悪夢像をを提示している。例えばヒトラーを髣髴させる独裁者ミューラーの存在、甘い言葉でだましてガス室送りというシーンなどは、後世に生まれた我々には衝撃的だ。というのは、本書がナチス・ドイツの出現を予言している優れたSFとも読めるからだ。

本書を分類するとすると、ディストピアSFである。物語の構造は凝っていて、1000ページ目からはじまる。物語を紐解いていくと、そのつくりもまた、迷宮的にできており、主人公ブロークとともに、読者は地獄世界を放浪することになる。そしてそれは、想像するだに恐ろしい偏執的で権力構造に凝り固まった病的な世界である。われわれは主人公ブロークとともに、ヴァイスの脳内世界を具現化した迷宮を逍遥していくことになる。その世界は、迷宮の支配者ミューラーを中心とする歪んだ神の家。ありとあらゆる猥雑さがまるでマグマたまりのように貯め込まれた、ぞっとする世界である。

主人公ブロークの存在自体がユニークで、おもしろい。あえて作者はブロークを不可視の存在としてえがくことにより、物語世界に内包するグロテスクさを徹底して描くことに成功している。その意味で、不可視の存在=眼なのかもしれない。その意味でも主人公ブロークは、迷宮の支配者ミューラーを暗殺するという使命により、彼に関する情報を集めながら、この悪夢の世界を彷徨う。そこで出会う人々もまた、ミューラーの狂った世界の囚われ人となり、世界の一部を構成している。彼等はまるで世界を彩るオブジェのような存在になっている。そしてブロークは記憶を失いながらも、困難を極める任務を果たすべく、ミューラーの正体を明かすべく、苦闘する。そして迷宮とミューラーにまつわるすべての謎が明らかになったとき、物語全体にあった「曖昧さ」に対する謎も同時に解決することになる。ラストは予想していたものの、映画「ジェイコブス・ラダー」的なサプライズをいい意味で感じられるかと思う。

ということで、個人的には強くお勧め。この作品は、もちろん社会体制の批判が込められているため、生々しいシーンが多い。そのため、狂った部分は理想の裏返しとして、現実に体制内で行われていることと解釈するのもよいかもしれない(が、恐ろしい)。