夢の10セント銀貨



ジャック・フィニイ『夢の10セント銀貨』(ハヤカワ文庫FT)

男の身勝手な欲望をファンタジーにした小説。現代社会の文脈に即して読むと、この展開はあまりにもひどすぎる。読み終えて状況を考えると非常に恐ろしい。ストーカー小説の先駆をなす並行世界ファンタジーとして解釈すると、なるほど納得。それにしても、主人公ベンの身勝手さとサイコさんぶりにはひどすぎる。前半のベティもひどいけど、世の中の男性諸氏(特に結婚している人たちで、妻に対してサービスができていない人たち)はこの小説を読んで、どうしてこういうことになるのか考えるべし。でもこういう悪い均衡状態になるのは、たぶん両者に非があり、そういう意味では、両性の戦い的なナッシュ均衡を妻側にするのか、夫側にするのかを夫側の立場から書いた小説だともいえる。ベティ側から書かれたらそれはそれで面白い小説になる気がしたのだが。

並行世界をつなぎとめるダイム(ウッドロー・ウィルソンダイム)をいつもの店で使ったら、なぜか違ったニューヨークに行ってしまった主人公のベン。彼は結婚生活がマンネリしていた奥さんのベティに辟易し、時折自分の昔の恋人テシーのことを想ったりしていた。そんな彼は向こうの世界では成功し、テシーを妻にしていた。満ち足りた生活を送っていた彼だったが、幼馴染みのカスターがベティと婚約したら、それをぶち壊そうとする。そして元の妻のところに戻るときに、彼はもとの世界でもベティと離婚しており、なんとか元に戻ろうとするのだが…。

サイコ化した夫が自分勝手なことをする話。ベティに正直同情します。最終手段だ!といって、自分を巨大な箱にラップアップして彼女のもとに送ったり。ラジオで復縁を求めるメッセージを流したり、後半の狂気っぷりはすごいです。途中までは結婚して倦怠期に入った夫婦生活のダメな感じが漂い、仕事の出来ないダメな感じのサラリーマンの悲惨さが生々しく描かれるわけだが、並行世界に行ってからはとりあえずベティが出てくるまではだらーっとした感じになり、「男のロマンだよね!」と感じるシーンに仕上がっている。でも、ベティが出てきてからは、サイコホラーに転換。セントバーナードの着ぐるみに入って、カスターをだますシーンはフィニイの持ち味が出ているものの、普通ばれるんじゃね?と思ったわけですよ。そういう意味でも戦慄というか。フィニイはHMから出ている作品がどれも面白かったので、FTに移行したらいきなりこれだったのでちょっとびっくり。でもサイコホラーとしては(具体的なスト―キングの描写が)よくできているので、うんざりしながらも読み切ってしまった。FTとしてはお勧めできないけど、ホラーとしてはなかなかキています。