所有せざる人々



アーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』(ハヤカワ文庫SF)

早川の強い物語。の100冊に選定され、トールサイズ&新しいカバーとなったのをきっかけに読んでみる。ル・グィンは<ハイニッシュ・ユニバース>ものというシリーズを書いているのだが、この本はそのシリーズに入る一冊。ヒューゴ/ネビュラ賞のダブルクラウンは納得の傑作。ル・グィンの作品は社会と個人のあり方をSFという準拠枠の中で、ヴィヴィットに描くことができるという意味でも稀有な才能を持つ作家で、社会構造・文化・慣習という制度の在り方について「ふたつの制度の違う文化が交流をしたときに、どのような<変化>がもたらされるのか」に焦点を当てて、物語を描いていく。今回は「所有せず、共有する」というオドー主義者たちの住まう厳しい気候の惑星アナレス出身の物理学者、シェヴェックが我々と同様「所有権」の概念が発達しているウラスへと旅立つ。

物語自体の社会的構造などに興味をもったのでそちらを中心に感想を書いてみる。アナレスにおける中央集権の排除により、ゆるい共同体の創設ネットワークという考察は興味深い。このネットワークが階層なしのフラットな様相になっており、各共同体はあくまでもノードの一つにすぎない。これはまさに今の様相でいえば、インターネットにおけるコモンズの思想と類似している。つまり各共同体で、独自の技術を開発し、一様ではない複雑多様性を志向するという点では、伊藤計劃の『ハーモニー』とは逆。共同体内の連結および調整、個々人の能力差による不平等感というのをどう解決するのかについて、イスラエル的なキブツつまり、シンディケートによってある種の神経系統のとりまとめを行う意思決定機関をつくることにより、調整をしていくということになる。直観として中央集権が分権の反対という意味でも脅威という意味で、どのようにそれに対抗していくのか、ル・グィンはモニタリングによって解決しようとする。このモニタリングについては、モニタリングと当局が結託するという可能性を排除できないため、むしろモニタリングによる「情報の開示」とでもすべきだったのではないか?と感じる。ル・グィンは二つのシステムについて描写するものの、どちらがいいのかは判定はしていない(ただ、アナレスよりなのは物語の性質上仕方がないのだが)。

資本主義に内在する論について、シェヴェックが本質を見ぬく。所有することにより、貪欲さや怠惰さ、嫉妬羨望が生まれ、さまざまな行動を制約する。これは社会というシステムをどのように見るかに依存しており、人間的にみるのか、系として見るのかという違いであって、もし前者として見るとシェヴェックの反応は当然であるし、システムとして見るとある種の機能性を持つカオスであり、その動きは想定しにくいと考える。所有することによるヴェブレン効果についての本質を解く。そこには個人間の競争により、物を所有するという概念がゆがめられるという考察がある。つまり、希少価値のあるものを所有するということを顕示することにより、能力差をあからさまに出すというウラスの文化は、金融危機前の投資銀行の人々の行動を思い出させる。つまり目的なき手段の追及こそが、所有するということへの強迫観念に転換される危険性をル・グィンは本書で警告している。アナレスにおける報酬とは、労働の対価として「認められること」すなわち「隣人からの評価」であり、このあたりはドクトロウやストロスの「評判」が通貨になる評価システムと同じなのだが、この評価システムもまた競争的になることにより、評判を作り出すための強迫観念によりシステムが崩壊する恐れがある。格付けという恣意性の高いシステムをどのように公平なものにするのかは、今後コモンズにおける評価システムを考えるにあたり、重要な問題の一つだと僕は感じている。という意味では、ル・グィンの本書はインターネットにおけるコミュニティを予言した本でもあると思う。つまり、所有することによる独占というのを排除して、相互扶助による緩やかなネットワークを構築することが一つのカギではないか、というメッセージである。ただしこのシステムは「悪意」というウィルスには脆弱ではあって、分離してセクトによる中央集権が敷かれる恐れはある(そのため、ウラスとアナレスの間である種のブロックがなされているのは理解できる)。

本書の面白さはそれだけではない。資本主義への一定の疑問を投げかけると同時に学者世界を描いた面白い小説でもある。特に学者のパートでは、共感すること多々ありで、このシェヴェックの姿はまさにすべての学問体系で学問に従事する人々にとっては、人事だとは思えない話ばかりなのだ。基礎工事という言い方をするのだが、学問に従事する人たちはさまざまな領域を俯瞰して、それを自分というフィルターを通じて語らなければならない。熟練と確実さをもってどのように基礎工事の上に理論を構築するかという長年の難しさを悶々と語るあたりも、また素晴らしい。ひとりでいろいろなことを勉強し、頭の中を整理して考えていくという作業は孤独なので、この描写はものすごく共感できる。静謐な流れの中に見られる情熱の物語なのだろうか。ル・グィンを読み終えるとつねに心が落ち着く。まるで十月の晴れた空のもとで一人書を紐解く感覚というのだろうか。