わがセクソイド

眉村卓『わがセクソイド』(角川文庫)

草食系男子と肉食系女子の出現を予言した社会派SF。現在のコンテクストで読みなおすと、「うだつの上がらない童貞草食系男子が、理想のアンドロイド彼女と駆け落ちする話」という展開のSFだった。社会変化による女性らしさの変容と性のとらえ方が古風な男子のありかたがコアとなって描かれる。その一方で女性は男性化し、肉食化し、快楽のために自由恋愛を楽しんだり、政治的な権利を求めて戦うという強い女性たちが主人公とは対称的な形で出てくる。これは男女雇用均等法の施行以降の現代の世の中を描写していないだろうか?主人公のライバルでエリートの男子は肉食男子で、肉食女子と快楽的な関係を楽しむものの、かつてのライバルだった主人公に憧れを抱いている。対極にある人々と対比させることにより、理想の女性を愛するということに対しての主人公の純粋な姿が明確に浮かびあがらせているのは見事。主人公の女性に対する見方は、女性を知る前と知った後の変化について、男性が誰しも思う感覚でもある。つまり女性経験後の喪失感と同時に女性からの受容感を感じられる小説でもある。

本書の読みどころは、女性の代わりに理想の女性として男性たちに性の快楽を提供するセクソイドとの純愛にある。セクソイドは権利を買った男性の理想の女として自動的に調整され、演じることになる。人間以外のものにラブの人たちの姿と重なる。眉村作品に出てきたこのセクソイド=高級ロボット娼婦という役割は記号化されて、今ではさまざまな形で現れ出ている。それはエロゲーであったり、メイドカフェであったり、女性に対して幻想を抱いている男性の理想とする女性の姿を生々しく描くのがこの作品の読みどころである。この作品に出てくる生身の女性はどの女性も男性化し、肉食系男性と同等の立場になって自由恋愛を楽しむ。そんな強い女性たちとは対称的に、ドリームとしての女性がセクソイドとして男性に奉仕する。そのような社会を描くことによりディストピアになるのか、女性がオス化し男性が女性化していく過程はなんとも複雑な気分になって読んでしまう。

眉村作品のすごいところは、男女間の恋愛ですら自由競争の世界にあり、契約によって設定されるというあたりが生々しい。そしてリアル女性をゲットできない男性たちはドリームを追い求めて代替物に対象を変化させてしまう。そう、この物語のコアには「市場原理」が内包されている。市場原理により恋愛できなかった男性は、セクソイドという理想化された女性像を求める。これは現在社会を予言した優れたSFである。ある種恋愛弱者である主人公男性が最終帝に取った手段は納得するものではあれど、これからの世界の在り様を予言しているようで恐ろしい。自分の純潔をある種守ると同時に、変容した社会へのアンチテーゼとなっている。発表年代のせいで、物語設定の古さは否めないし、女性描写がちょっと微妙なのは仕方がないものの、やはり個人と社会という側面と経済学的な感覚に裏打ちされた優れた社会派SFとして今でも十分読む価値があるだろう。