宇宙飛行士オモン・ラー




ヴィクトル・ペレーヴィン『宇宙飛行士オモン・ラー』(群像社

ペレーヴィンの翻訳新刊。同じ群像社から出ている『チャパーエフと空虚』とは違うテイストなれど、なんとも言えない風味の幻想小説社会主義というコンテクストの中で繰り広げられる不条理劇で、描写描写の反復により読み手に虚無感を綴りこんでいくのがよい。物語の舞台が社会主義国という設定のため、一つ一つのプロセスが官僚主義的で非効率なのだが、純粋なオモン・ラーは教官たちに「再教育」されるために、ますます使命に凝り固まり、ある種のイデオロギーをコアに持つことになる。また物語のところどころに旧ソビエト連邦で行われていたと思われる実験などを思わせるイメージを挿入したり、愚直なまでの反復やナンセンスで不連続的なカットを入れることにより、不条理さを強調する意図があったと思われる。そのため、つながりの悪い出来の悪いコメディ映画を見ているような感覚に囚われた。やや歯切れの悪い展開なのだが、読者は読み進めていくうちに、本書がソビエト連邦自体の特異な体制を揶揄した小説であることに気が付くだろう。

物語は主人公のオモン・ラーが宇宙飛行士になり、月の裏面へと地球に戻ることのない一方通行の宇宙旅行へと赴き、その運命を描いたもの。精神論を強調し、宇宙飛行士たるものの役割をたたきこむ教官たちの姿にはなんとなくではあれ、滑稽すら感じる。拉致、薬物による酩酊、不連続な虚構などが続くため、本物とニセモノとの境界が徐々にわからなくなってくる。この本物とニセモノの差がなくなっていく過程こそが「空虚」である。月面車による冒険シーン、戻ることのできない月面での覚悟とそれに対する皮肉など、ソビエト連邦にあったいい加減さを読者に想像させながら描いているのがよい。しかし、色々な引用(人物名とかもろもろ)があるため、知識がないと面白さは半減。そういう意味では引用とか描写とか意味がたくさんあるんだろうなと思ったのだが(解説で一部わかったけど)、再読が必要な小説。 読み終えた読者は、映画「カプリコン1」の旧ソビエト連邦バージョンといえば納得するだろう。世界のフレーム自体が空虚であるときに、人はどのように世界を再構成するのか、ペレーヴィンは物語を通じて真摯に取り組んでいるように感じられた。

本書と関連する話では、ジョアン・フォンクベルタ『スプートニク』(筑摩書房)に出てくる事実と虚構の織りなす世界も興味のある読者はぜひチェックしてほしい。お勧めの一冊。