荻原魚雷



荻原魚雷『古本暮らし』(晶文社

荻原魚雷『活字と自活』(本の雑誌社

読んだ人の心に何かさざ波を立てることのできるエッセイというのが世の中には存在する。本書はまさにそのタイプのエッセイで、文章はいたってやさしく、とてもやわらかい。文章のテンポというのをよくわかって書かれた自然な文章。こういう文章はなかなかお目にかけないので、とても新鮮な気分になる。本はおもに、著者の敬愛するエッセイスト、詩人、文学者たちの書物の中から、こだわりを持って選ばれた文章を引用しながら、つれづれなるままに文章をつづっていたり、30代後半になっても変化しない生活スタイルや日々のぼやきがつづられている。特に日々の雑感を、文学作品・エッセイ・詩から引用しながら、自分の所感を入れるやり方が素晴らしい。等身大のうまい本の紹介は難しいのだが、著者はそのことを飄飄とやってのけているあたりに、素晴らしさを感じる。こういう芸当はなかなかできないからだ。

古本とレコードと酒。そんな三つがあればよい。明日からの生活費を考えながらも、古本を買い、好きな本を読んでそこはかとなく一日を過ごす。そんな著者の姿にどことなく憧れを抱く人も多くはないだろう。著者の本を読んでいて、知らぬ間に、どことなく著者が記すような「余裕」を失ってしまったのかもしれないと思える。先人たちは何を考え、日々を生き、書を読み、創作活動に励んだのか、そういうヒントがここにはある。詩人たちの感じる何かというのは、今の世の中に失われつつ何かを、著者はうまくエッセイの中で抽出している気がする。著者の強みは「好きなものに囲まれて、日々を等身大に生き、無理をしない」という態度を受け入れて、自分自身をそのまま受け入れているというところにあるだろう。

今の世の中は生きるのに厳しい状況で、効率性や所得の大小で評価されるようになった感がある。しかしながら、そうではない価値観のあり方を本書は嫌味もなく、提示してくれる。また著者の日々の生活やこだわりをそのままさらけ出しながらも、読者に温かい共感をもたらすところがこのエッセイの強みだとおもう。自分の能力を見極めながら、決して世の中を否定するわけでもなく、ぼやきつつも、日々の生活を送る。この在り方は前田司郎『グレート生活アドベンチャー』(新潮文庫)の中のゆるゆるさと通暁している気もしなくもない。

とまあ、社会の在り方が変容し、いろいろなことが移行している状況で、がつがつしないで生きるのが難しい世の中になってしまった。本書でふれられている生活感や高円寺・阿佐ヶ谷の雰囲気も含めて、こういう場所や生活スタイルがまだ日本に存在していることにうれしさを感じる。情報革命によって失われた(変容した)何かはまだ見えないけど、一度問い直す時期にさしかかっているのかもしれない、とこのエッセイを読んで思った。あとエッセイ内で触れられていた松本零士さんの古本マンガや(ほしい本がたくさんあって、その本を買える場所)の話は自分も遭遇したい(でもその主人公の状況は悲惨だけど、ああいう形なら僕は幸せかもしれない)。

ぼくは最近出た『活字と自活』から読んで、文章や内容がすごくよかったので晶文社の方をあわてて買ってすぐに読んでしまった。こういう気分にさせられたのは久々である。岡崎武志から教養臭さを消して、ナチュラルに自分の感じることを等身大にしたら著者の作品になったという感じかな。その意味で、若手古本系エッセイではおすすめしたい一冊。