夜を買いましょう



浅暮三文『夜を買いましょう』(集英社文庫)

ワヤン(バリ島とかで有名な影絵用の人形)が表紙になっていたのでどんな話かと思ったら、なんと先日行ってきたインドネシアが少しだけ舞台になっていたので、この本をバリ島の滞在時に読めたのはよかった。確かにこの物語に出てきそうな変なキノコがありそうな雰囲気ではあるのが理解できたので。

前半と後半がやや不連続的で、浅暮三文流の経済解説になるため、前半のミクロ的様相でインドネシアの怪しげな雰囲気が薄れ、解説的になっていくのが少し難点。僕はデビュー作の『ダブ(エ)ストン街道』のぐるぐるさが好きだったので、本書の前半と後半(ラストの締め)は気に入っているのだが、いかんせんワヤンを組み込んだ債券のあたりの説明は気合いが入りすぎて、いきなりトーンが変わるので戸惑いはある。

 蓄積ができない睡眠という財を物理的に作り出せるキノコの存在を仮定して、それから仕組み債を作るという展開は面白く感じた。資本主義に内包する「原資をもとにした拡大主義」に対するアンチテーゼとして、夢や睡眠という事象までをも財として組み込む資本主義の拡大主義への批判にもなっている。これはまさにテコの原理であって、担保をもとに大きなギャンブルをするということである。この博打の仕組みに対する批判として、浅暮三文はワヤン債という新たな金融派生商品を提示し、資本主義体制における欲に対する批判をファンタジーという形で与えている。資本主義体制において重要な事象は「信用の創造」にある。これは金本位制を支えている根幹の論理であって、金という担保があるからこそ、それを本来なら兌換できる銀行券という「信用」によって裏打ちされた券によって、経済は循環しているという現状はある種のもろさはある。まさにサブプライム問題でも人々の期待による「信用の収縮」というのがいかに危険なことか、我々は理解しなければならないということだろうか。

 資本主義においては「拡大」が大切であり、「縮小」というのは不況を意味するため、忌み嫌われる。縮小は悪であって、拡大は善であるという状況はまさにワヤン債の存在となる。夢の領域まで資本主義が拡大する、というのはまさに「資本主義」という獏が夢や睡眠までをも侵食化し、市場に組み込む「拡大主義」への恐ろしさを唱っている。持続的な成長は重要なれど、持続的な経済縮小というのは人々が忌み嫌う事象であることを付記しておく。そういった意味で本書はワヤンというキノコを組み込んだデリバティブ(これはワヤンでもなんでもいい)と人々の期待形成のもたらす恐怖を描いた話になっている。でも媚薬の設定がうまく生かされていないのは少し残念。