EXPO '87

眉村卓『EXPO '87』(角川文庫)

不定エスパー>シリーズはどこかにあるのは知っているのだが、出てこないのでしばらく角川文庫から出ていた眉村卓を読むことにした。さて、本書は400ページほどある長編で、眉村卓の初期の長編である。東海道地域で行われる万博を巡る企業間の戦いを主軸においた管理社会の物語。陳腐化した技術はあれど、メインのアイディアは複雑化した現代日本の状況を俯瞰する上でも示唆的である。資本主義の競争原理により、日本社会の再構築が行われた後に訪れた究極の産業管理社会の在り方というのを悪夢的な形で読者に提示する。

改めて読んでいて感じたのは、<司政官>シリーズの萌芽となるスーパーエリート、産業士官たちの存在である。彼らはロボット官僚の如く優秀で、最大限の最大幸福を望む政策を行う施政者として登場する。彼らは幼少のころから徹底したエリート教育を受けたインテリジェントチームであり、個を徹底的に排除し、ソシアルプランナーとして、経済厚生の最大化を行う。膨大な知識を融合、調整、連結し、先の先まで予測しながら経済を運営していくチームである。そしてそのあり方は、情報の不確実性から生じる曖昧さ、蓋然性を相互の連絡によって低めることで確実な経済運営に成功しているというのが面白い。

そして彼らの戦略の立て方はまた、非常にゲーム理論の考え方が適応できる形になっており、戦略の立て方は確実に長期的な視野(国家100年の計)を見据えたものになっているという意味では、司政官というよりはむしろロボット官僚であり、ぞっとする面もある。つまり、彼らの考えている計画一つ一つが蓋然性をすでに低める方向に動いていて、大局的に見ることができるというのが、実に面白い。すなわち、ほかの登場人物たちがmyopic(近視眼的)であるのに対し、産業士官たちは徹底して冷徹でそれぞれの私企業や政治勢力を国家が運営するという枠組みに組み入れることにより、ある種の独占国家主義のようなものを作り上げたといえる。この方向性は眉村卓が予算統制論をやっていたためか、ソシアルプランナーという考えが色濃く出ている気がした。

物語の前半部は、日本が多国籍企業によって喰いものされている中で、大阪の中小規模の企業が画期的な発明に成功する。一種のVR装置で、彼らはそれを東海道で行われる万博で展示しようとするのだが、ライバルの企業がそれを阻止しようとする。前半は設定で割とおなかいっぱいになるのだが、多国籍企業が日本を喰いつくすという状況な今の日本でも同じ。これは現在大きな問題になっていて、この話のコンテクストを発展途上国市場の現状に当てはめると、このEXPO '87の世界になる。さらに面白いのは、産業士官の間での情報のやりとり、というのは現在でいうネットワークの理論の考え方にもつながる。産業士官の間でのやりとりは、徹底して無駄を省いた会話であって、ロボット間の会話にも思えるが、これはまさに情報のコミュニケーションコストを下げ、未来予測を高めるためのブレインストーミングでもあって、実におもしろい。このあたりは<ファウンデーション>シリーズの心理歴史学の方向性と同様である(これは、眉村作品では組織力学と呼ばれる)。

個にはある程度のばらつきがあるものの、産業士官たちが国家を統制することで最大限の幸福を達成できるという考えは概してディストピアになるものだが、本書ではそうならないような工夫までもこなしており、読み終えたときにびっくりした。本書はそういった意味でも、無慈悲な企業の本質、さらには市場に内在するコントロール性の問題を取り上げていて、実に興味深い。この手法は、計画経済論の考えをうまくまとめつつ、産業士官というエリート仲介役を導入することにより、情報の不完備性をうまく処理した、近未来経済SFだといえる。現在復刊するのは難しいのだが、うまく陳腐化した部分を直せば今でも十分楽しめる一冊である。