クレイ



デイヴィッド・アーモンド『クレイ』(河出書房新社)

 これで読むのは2冊目のアーモンドは、純粋な悪をテーマにした少年の物語。軽妙な会話と流れるようなテンポの物語である本書は、さくりと読むことができた。意図的なのかそのままなのかわからないのだが、少年たちのやりとりが「あいよ」とか「さあ」とか「たぶんな」という普通に使わないような会話で占められているのが無機質的。しかしまあ、「あいよ」には違和感感じてしまっているのだが(原文を見てみたい)、それを除けば暴力的な展開なのに、ラストは静謐に締めくくられる。このなんとも言えない青年期の計り知れないパワーは、キングの『スタンド・バイ・ミー』(新潮文庫)や、ブラッドベリの作品と匹敵するものがある。

 読んでいて感じたのはブラッドベリ的なテイストが強いこと。小笠原豊樹さんが訳していたらまた別な感じになっていそうな作品ではある。特に主人公デイヴィが転校してきた少年スティーヴンのなすがままにクレイの世界に引き込まれていく過程が実にナチュラルで不気味。このあたりの感覚は友情と悪意というのが実は紙一重であるような感覚がある。クレイと呼ばれる粘土人形が少年たちによって命を吹き込まれたときに、おぞましい事件は起こる。犬が死に、主人公たちと対立していたいじめっ子が事故死する。そしてそれは意図していなかったにしろ、デイヴィを苦しめることになる。

 クレイが実際に動いていたかどうかは、デイヴィの視点でしか語られないので、少年期の妄想で片付けることも可能ではある。が、命令をまつクレイはある種パッシヴな主人公デイヴィの具現化した姿である。そのことをスティーブンはわかっているがために、クレイを支配すると同時にデイヴィを支配しようとする。その流れが友情という形だったのが徐々に変遷して、支配する側、支配される側と変化していってしまう過程がまさに青春ホラーとして恐ろしい。日本だとたいてい学校が舞台になるような話ではあるのだが、海外ではそういうことではなく個人間の関係に収束していくのが面白い。そういった違いを勘案しながら読みとくのも悪くはない気がした。でもこの訳文でいいのかどうかは微妙。金原先生下訳者使い過ぎ…。