夢の蛇



ヴォンダ・N・マッキンタイア『夢の蛇』(ハヤカワ文庫SF)

一般に蛇のイメージというのはネガティブ・ポジティブの両面を持つ。縦長の瞳孔、チロチロと絶えず出入りする先分かれの舌、ぬらぬらと光った鱗におおわれた細長い体など、生理的嫌悪感を抱く人も多いはず。しかし、古来蛇には様々な隠喩やシンボル性が付加されており、畏怖を抱かせる神聖な存在として崇められてきた。たとえば、ギリシャではアスクレピオスの持つ杖には蛇が絡んでおり、不老不死などのシンボルとされてきたり(例えばその神話はhttp://www.yokohama119.com/home/index.php?option=com_content&task=view&id=15&Itemid=34などを参照)、日本でも豊穣の神として崇められてきた経緯がある。本書はギリシャ神話をベースにしたお話であり、荒野をさまよう「治療師」の女性の苦難を描いた物語だ。本書はヒューゴーネビュラ賞(違う年度)を受賞しており、ダブルクラウンの名に恥じない内容。

本書は、ギリシャ神話やホメロスを参考にしたのではないか?と思われる。大雑把にいえば、3部構成で物語は書かれており、貴重な夢の蛇を原住民の無知によって失ってしまった治療師スネークが、失った夢の蛇を手に入れるために故郷へと戻る際に起こる苦難劇を描く。サイエンス・ファンタジーと言ったほうがいい作品ではあるが、性に関する様々な問題が自然と物語の中に内包されており、いやみがない。主人公スネークは女性であり、自立した大人の女性として、治療師としての責任を全うし、その結果世界は変化していくという方向性が一貫しているので、読みやすいのかもしれない。荒廃した未来地球の描写は大変素晴らしいので、まさに流麗な感じな印象を受ける。

ふと読み終えて思ったのは、久美沙織<ソーントーン>サイクルのことだった。久美沙織の<ソーントーン>ではやはり治療師の見習い魔女が世界の運命に関わっていくわけだが、彼女もまた本書のスネークと同様、艱難辛苦を嘗めることになり、冒険の過程で彼女自身がたくましく成長していく。『夢の蛇』と<ソーントーン>サイクルを比べると、ヒロインの成長という点では<ソーントーン>とは異なる(スネークはすでにプロであり、成長の余地はない)のだが、一流のファンタジーの書き手である久美沙織とマッキンタイアの本書に、設定面で類似点が見られたのは興味深い。FなのかSFなのか、という点でスタンスの置き方の違いを見れたのはさらに興味深かった。

本書で印象深かったのは、フェミニズム文学ということで自立した女性がたくさん出てくる。セックスに際しても男性はすべて受け身(笑)で、途中出てくる18歳の美青年ガブリエルにいたっては過去の失敗で不能になっているのを、年上のお姉さまであるスネークが喰ってしまう(まさにスネーク!)という展開。また彼女に惚れて彼女をはるばる追いかけてくる青年アルヴィンもまた年下なので、ある種すごい。そのほかにもアルヴィンを誘惑する女性もまた自分からメイクラブしたいという部分など、男性上位ではなく女性上位という点で一貫しているので、男性は実に弱い存在として描かれている。

さらに言えば、弱い女性を性の奴隷とする男性や自らの不注意で傷を悪化された男性、麻薬の快楽におぼれてしまった男性、自らを理解してくれないがために人々を麻薬漬けにしてしまう男性など、本書では徹底して男性が不浄な存在として描かれ、スネークが解放者として解決していく。つまり『夢の蛇』では徹底してジェンダーを書き分けることで、従来より批判されていた男性至上主義へのアンチテーゼとして本書を構成していったといえる。その点を理解した上で読み解くと、治療師のスネークの存在は物語自体を癒す役割をも果たしている。評価は分かれる小説なのだが、購入当初では知識不足でわからなかったことも多かったと思うので今読んでみてよかったと思える一冊だった。