セックス・スフィア


ルーディ・ラッカー『セックス・スフィア』(ハヤカワ文庫SF)

翻訳が出たのは1992年。ラッカーは『ホワイト・ライト』、『時空ドーナッツ』、『空洞地球』、『ソフトウェア』(すべてハヤカワ文庫SF)と読んできて、ハズレがないのでこのまま読み続ける予定。短編集も早く読まないとなー。翻訳は大森望氏の冴えた訳(たぶん原文はドイツ語、イタリア語などなどがミックスされていて、すごいことになっていると想像する)で読めるので、日本の読者は大変幸福だと僕は感じた。

セックスフィア(セックス恐怖)と読んでしまいそうなタイトルなのだが、これは面白かった。ヒルベルト空間(ヒルベルト空間とは、内積から導出されたノルムによるバナッハ空間のことである。有限ユークリッド空間がヒルベルト空間であることはよく知られている。)からやってきたセックス球のエロスによって世界が位相的にはちゃめちゃになって行く話。前半部分はイタリアでグリーンデスと呼ばれた環境テロリストにさらわれた主人公の物理学者アルヴィンが、原爆をつくることを強要されるという話で、そこでなぜかセックス球が絡んできて、ますます物語は混沌・カオス化する。ま、そういう意味ではヒルベルト空間なんか出てくるけど、あんまり物語には関係ないかなと(笑)。

ラッカーの面白いところは、先に読んだアボット『二次元の世界』(講談社ブルーバックス)をベースにはちゃめちゃな話をつくりあげていること。ここでは高次元の存在(バブズ)がアルヴィン(3次元)をダンテの神曲でダンテを導くマエストロのごとく、高次元へと導いていきます(しかしそれがとてつもなくエロスなので、笑ってしまう)。前半が実にヒッピー的な思想に占められた変な話なのに対し、後半は完全に力を抜いて書いたという感じ。この投げ出し方がラッカーっぽいよねぇ(これは『ソフトウェア』でも感じたことだけど、ラッカーはどうもカオス的で、エントロピー増大の方向、あるいは無限へと物語を発散させる傾向がある気がする)。

この話は高次元の存在であるバブスをどう想像するか、に依存する感じ。アボットの作品では、高次元の概念を広めようとしただけで異端としてとらわれてしまったものの、ラッカーでは逆にめちゃくちゃになっていくのが面白い。むしろ積極的にバブズが3次元空間をめちゃくちゃに喰い尽くしていく感じは、ある種有限を無限が侵食する感覚になるので読んでいて面白い。もともと数学的には[0,1]空間のように有限の中に無限が存在するケースもあるので、局所的に無限化していくという感覚は読んでいてなんだか面白かった(それがエロチックな侵食なだけに、ラッカーがいかに本書を楽しんで書いたのかが伝わってくる)。

現在入手困難なはずなのだが、ラッカーをある程度読み進めた人にお勧め。一発目からこの本だと、ラッカーのイメージが変な意味で定着してしまう気がするので…。女性読者はどう反応したのか、聞いてみたいところ。