水の都の王女

J・グレゴリイ・キイズ『水の都の王女』(ハヤカワ文庫FT・上下)

上巻を読み終えてから下巻に取り掛かるのに1か月ほど(途中色々な本を読んでいたために、中断してしまった)後に読み終えた。尾之上俊彦氏の解説が述べているように、物語を構成する世界設定がしっかりとした骨太のファンタジーで、読者の想像力をふんだんに刺激する設定となっている。加藤&後藤コンビの美しい絵がふんだんに入っている点もお得なのだが、11年前に出た本(あれ、そんなにもう経ったのか?)とびっくり。リアルタイムで買っていたわけだが、そのまま本の山に埋もれてしまっていた…orz。ともあれ今のタイミングで読めたのは大変よかったと思う。というのは、水にまつわるファンタジーなので何となくではあれ、夏向けな感じがした。

ただし内容は重苦しい。しかし読者を引き付ける力は最高である。話は南の大河の王国ノールに生まれた12歳の王女ヘジと牧畜を営む丘陵地の民、バルク氏族の族長の息子ベルカルの二人のパートが入れ替わり(途中インターミッションとして暗殺者の話が入る)、二つの物語が同時進行風に展開されていく。ヘジのパートは王国の宮殿内で自分の親族が消えた謎を探るために活発に冒険をするヘジの話であり、徐々に宮殿内の謎と<取り替え子>と呼ばれる大河の神との関係が密接に結びつき、恐ろしい事実が明らかにされていく。そしてベルカルのパートでも、小川の女神との交わりを通じて知った大河の神の脅威が夢を持ってつながる。そしてさらに土地をもらうために<森の主>バラティティのもとに行き、土地を請願する。そこで大河の神を殺すための武器を手に入れたベルカルは艱難辛苦を味わうことになる。

興味深いのは川のイメージにある。ひとつは豊穣の神として恵みを与える存在、そしてすべてを飲みつくし、破壊し、飲み込んで自分のものとする存在という両面の顔を持つ。この世界では後者の存在として、神を抑えるために神官たちが腐心するというイメージがある。その点は実に見事にヘジのパートで描かれており、無駄のない描写で王国内の組織を暴露していく。ヘジが知識を得ていく過程は実に素直な方策で、宮殿内のアーカイヴに丁稚としてはいることにより、必要な知識を得ていく。そして地下にある旧宮殿内で見つける恐ろしい真実。このあたりのパートはややホラーめいているのだが、実にナチュラルに描かれているのですばらしい。

ベルカルのパートはますらをぶり、という言葉で象徴されるように雄々しい印象を受けた。これはヘジのパートとは対称的で、あえてコントラストをつけていくことにより、物語にアクセントをつけることに成功しているように思えた。神との戦いという点は血まみれ度高く、人がいかに脆いものか、という神との差を出すことでベルカルが弱い人間であるということを知らしめる。つまり、神を殺す人間というのは運命の女神により、なぜか使命を与えられてしまったという感じはある。そこでは剣の所有者をサポートする、ものいう魔剣の存在(このあたりはD・フィッシャー<魔剣伝説>シリーズを思い出す。)が大きい。とまあ、神々と人々が存在するという設定は日本神話的でもあるので、親しみやすいのかもしれない。映像化したら面白そうな物語ではある。

無駄のない情景描写、魅力的な人物描写、隙のない物語設定という近年読んだファンタジーの中でも最高級の出来だと僕は思った。個人的にはヘジのパートの方が好きかな。というのはヘジのパートには、ミステリ的な謎解きの過程があり、ヘジの方に力点が置かれている(というのは、世界の謎というのは知識がないと解けないだろうから、王国王女というのは最適な役回りだと僕は感じた)ように思えたため。