時の果てのフェブラリー



山本弘『時の果てのフェブラリー』(徳間デュアル文庫)

山本弘はこれまで何冊か読んできたのだが、短編集ははずれがなかったので、今回ゲームのノベライズを除いた単独長編を読むことにした。オリジナルは角川スニーカー文庫から出ていたのだが、徳間デュアル文庫から改訂版が出てその版を読んだ。当時買ったときに、友人に否定的な見解を受けた記憶があり読むのをためらったわけだが、僕の中では山本弘の評価が変わったので今回読めてよかった、と思った。結論としては、ハードSF的な部分が面白かった。<スポット>のアイディアはストルガツキー兄弟のアレから来ている?のかな。最後に明らかになるのは、ダグラス・アダムズだし(笑)。僕がふと思い出したのは伊藤和典『スパイラル・ゾーン』(バンダイ文庫)で、何となく重なる部分があったといっておく。あと牧野修とか。

前半部は面白い。人間の言語獲得の手法をネタに、何かの形で脳に障害を持った人が特異な才能を発揮するサヴァンのネタに持っていって、主人公フェブラリーがチョムスキー文法の体系に当てはまることのできず、それよりもさらに概念的であるメタ・チョムスキー文法によって言語や概念を生成するという設定が秀逸。このメタ・チョムスキー文法というアイディアは中井拓志『アリス』(角川ホラー文庫)をふと思い出したのだが、中井の小説はホラーなので山本の小説と比較は難しいが、言語の扱いというので色々と異なるので興味深い。この稀有な言語体系を持つフェブラリーは数学などを感覚としてとらえることができて、高度な知識をうまくイメージとしてとらえることができ、かつオムニパシーという他人の心に共感できる能力を持つ少女だった。彼女は世界に突如出現した<スポット>と呼ばれる時間重力異常地帯に秘められた謎を解き明かすために、調査隊として危険を冒して内部に侵入するのだが…。

<スポット>内部の話はちょっと微妙なのだが、<スポット>を引き起こした元凶との遭遇は『幼年期の終わり』(光文社古典文庫)で人間がオーバーロードに壮大なヴィジョンを示されているシーンを思い出した。そういう意味では山本弘自体が好きなSFのガジェットをパッチワークして、壮大なスケールで作り上げようとした野心作といえる。なんというか、SFを読んでいてよかったなーと思うのはたぶん理解できないのだけれども、感覚として何となく作者が意図したところがわかったときの楽しさにある。特に言語概念というものを扱うSFは内的世界に向かう傾向があるのだが、本書は立派なファーストコンタクトSFとして安心して読むことができる。とりあえず話題になっている最近の長編をできる限り早く読むことにしたい。本書自体古書店で見つけにくくなっている気がするのでブックオフなどを中心に探すといいかも。

あ、でもイラストレーションは最低なのでその点は文句いいたい。