都市と星



アーサー・C・クラーク『都市と星』(ハヤカワ文庫SF)

クラークの作品を読むと、壮大なヴィジョンに圧倒されることが多い。日本作品でいえば小松左京山田正紀の作品を読んだ後に感じるスケール感だ。しかしそれには常に寂寥感が漂っているのは、僕らが観察者として放置され、そのまま取り残されてしまっているからかもしれない。

本書は1959年に出版された作品だが、49年経過した今でも通用する古典SFである。むしろ停滞期に向かいつつあるダイアスパーの科学技術は、グレッグ・イーガンが『ディアスポラ』で提示しているヴィジョンの先駆であるともいえる。それはヤチマとユニークとして生まれたアルヴィンが世界を認知し、認知していくことにより世界が明らかにされていく方向性は二人の作家が似通っているので面白い(ただし、ディアスポラと本作品は方向性は逆。前者はエクゾダス、後者はルネサンスの物語である)。あらためてクラーク作品をきちんと読みたい、と感じたのはいうまでもない。

本書の方向性は最近新訳が出た『幼年期の終わり』(光文社古典新訳文庫)での集合知性体としての人類の新たな進歩の可能性の提示、『2001年宇宙の旅』(ハヤカワ文庫SF)でのモノリスによる世界の進化と、人類全体を取り扱ったマクロレベルでの未来ヴィジョンを提示していることにある。いわゆる科学技術を中心に取り扱ったハードSFといわれる系列の作品ではあれど、クラークにはミクロレベルの技術をベースにヒューマンドラマを織り込む。そしてそのドラマは決して読者に絶望を与えず、夢と希望を与えてくれるのだ。だからクラークの作品をふと読みたくなるのだな、と僕は思った。

本書の世界は、銀河帝国を構築した人類が衰退し、地球にある唯一の都市ダイアスパーに生まれた「ユニーク」、主人公のアルヴィンの物語である。ダイアスパーの都市のデータバンクには人類生成のパターンが記憶され、再生されていた。しかしアルヴィンはどのパターンにも当てはまらないユニークであったため、都市の外に出ることを恐れる市民たちとは異なり、彼は都市の外に向けて冒険を行うことになる。

ダイアスパーの描写だけでもおなかいっぱい、という堀晃氏の解説に共感。前半部分だけでも濃密なのに、後半ではアルヴィンと別の植民惑星、リスで出会ったヒルヴァーとの宇宙空間の旅に。この旅はやや急ぎ足的ではあれど、なぜ銀河帝国が崩壊したのかという感覚は何となくではあれつかめる気がする。人類が構築した純粋な知性体、ヴァナモンドとの接触から銀河帝国が崩壊し、人類が衰退した謎もまた明らかにされ、スケールが広大な物語は寂寥感とともに幕を閉じる。この寂寥感と世界に取り残されてしまう感覚に浸りながら、夜空を見て人類の行く末を考えた人も多いはず。

品切れなのが残念。たぶん名作セレクションで出るのではないかと期待。未読分のクラーク(ずいぶんある)もそろそろ消化しないとなぁ。自分の命も有限だからどこまで読めることやら。