エンジン・サマー

ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』(扶桑社ミステリ文庫)

 ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』(扶桑社ミステリ文庫)を読み終える。物語が美しすぎて、今もその余韻に浸っている。時間がかかったのも、クロウリーによって綴られた物語があまりにも美しすぎて、読むのがもったいないという感覚に囚われたから。自分自身もまた、語り手の立場になって主人公<灯心草>の心の動き、冒険譚、恋の物語を味わうことができる、まさにSelf-Reference Engineな物語である。クロウリーの世界は飛浩隆貴志祐介の世界にも類似する点もあれど、基本的にはJ・G・バラードの廃墟の美の世界で、そんなことを想像しながら主人公<ラッシュ・ザット・スピークス>の奇妙で切ない物語を読み進めていった。

 当初は主人公の少年が何となく旅をするジュヴナイルファンジーだと思って読んでいたら、第四のクリスタルと描かれた章で徹底して圧倒される。生きることと死ぬ間には無限の人生があるというけれども、この物語はまさに無限の物語といっても過言ではない。文明が破滅し、旧支配者層だった人類たちは<天使>と呼ばれる世界。天使の到来に憧れる地上の人々。そこで細々と暮らす人類の末裔たち。そんな<天使>の末裔である主人公<ラッシュ・ザット・スピークス>が語る物語である。主人公<灯心草>が<一日一度>(ワンス・ア・ディ)という名の蒼い眼の少女に恋して、伝説の聖人たちになろうとして旅立つ物語。

 とにかく想像力を惹起する物語で、眼をつぶりながら<灯心草>の語りの美しさに身を任せればいい。小説の文章の美しさだけではなく、物語の構造も実にすばらしい。こういう衝撃はサミュエル・R・ディレイニー『エンパイア・スター』(サンリオSF文庫)、山尾悠子「遠近法」以来である。第四クリスタルの物語には第一から第三までのクリスタルの話が見事に第四クリスタルの衝撃のために用意されていて、第四クリスタルのラストでは眼がうるうる。物語を語るということが、文学の中に見事に数学的展開をした物語といえて、オイラーの公式の証明の過程を見せつけられた気分である。物語自体はカントール対角線論法で証明された妙、というべきかな。[0,1]という区間の間にある無限の美しさを表現した傑作。

以前は福武書店から出ていたものだが、扶桑社よりめでたく復刊。部数がまったく少なく新刊書店でほとんど見かけない状況なので、購入していない人は急ぐべし!これを読まずにして、一生を過ごすのは絶対勿体ないから。ちなみにエンジン・サマーという言葉の由来は、未来の人たちがインディアン・サマー(小春日和)を当てて言った言葉。