インテグラル・ツリー

ラリイ・二ーヴン『インテグラル・ツリー』(ハヤカワ文庫SF)

購入当時は大学生のころだから、15年来の積読本。その後初版帯つきを入手し、現在に至る。実は二ーヴン単独の長編は初体験だが、がちがちのハードSF的な設定にしっかりと土台を置いた進化生物SFもの。マイケル・ウィランの幻想的なイラストは一瞬ファンタジー?と思ってしまう人も多いのではないか。表紙の女性(ミーニャだと推測する)たたずむ緑豊かな不思議なスモーク・リング〜インテグラル・ツリーの世界に読者がぐいぐいと引き込まれるのは想像に難くない。日本でも実際結構増刷がかかっていた(少なくとも僕が大学生時代のころには普通に本屋で買えた)と記憶しているので、ファンも多いのではないかと感じる。この物語の面白いところは二つの要素、箱庭的なSF設定(環境適応した生物群)と旧来の社会機構をベースにした独自の慣習とルールに従った反乱者たちの子孫たちの冒険物語が同時に楽しめることではないだろうか。そういう意味では『エンジン・サマー』(扶桑社ミステリ文庫)のような人物と種族のあてはめ方もあり、興味深い。優れたSFとは、何かしらの社会・経済的な様相を導入しつつ、それに独自のSF的設定(この場合はスモーク・リング)が組み合わさったときに「面白い」と感じさせる何かが存在する。本作品はまさにそのような小説である。

惑星ウォイという中性子星の周囲に展開する高濃度のガス帯の中に包含されたスモーク・リングと呼ばれる生物が存在可能なトーラス状の帯域。そこでは空気の海ともいうべき空海の中で、独自に発達し、順応した生物たちに満ち溢れていた。そこには世界の樹ともいうべき、スモーク・リング内の環境に順応した巨大な積分記号”インテグラル”の形をしたインテグラル樹があり、人類はそこで独自の進化・適応を遂げていた。インテグラル樹はその名の通り、積分記号の上限と下限にタフトと呼ばれる居住可能区域があり、人々はそこで種族単位で生活をしていたのだ。その樹はドールトン=クィン樹と呼ばれていたが、旱魃による食糧不足。そのため一族の長である<議長>によって食料調達の命令が下された。樹の中央部に向けて<議長>が選ばれた一族の者たちに「口減らし」を兼ねて冒険を要請したのだった。はたして彼らの旅は成功するのか?

小隅黎先生の翻訳は滑らかで、大変読みやすかった。ハードSF的な設定がうまく生かされており(潮汐力のため、インテグラル樹の両側にはみせかけの重力があるように働き、両側の住人はともに「自分たちが下」だと思っているというのが面白い)さくさく読める。前半部はドールトン=クィン樹の上限への旅になる。樹と共生する寄生生物たちの様相はネーミングを含めてユニークだが、憎めない部分もある。インテグラル樹の中で長い年月をかけて進化し、適応した人類の末裔たちの姿。ある種の箱庭的な進化の過程がうまく描かれ、実に不思議なファンタジー的な美しさのある世界になっている。前半部はインテグラル樹(http://masa-p3-2.hp.infoseek.co.jp/sci_fi/i_trees.htm)の冒険、後半部は人類の末裔たちと<規律号>の関係が明らかにされていく。

続編『スモーク・リング』(ハヤカワ文庫SF)のあらすじを読むと、『インテグラル・ツリー』の後半部はある種の導入部と考えるのは自然かなと。至るまでのなるほど納得はする。後半部ではラムシップ<規律号>とその乗員たちが反乱に至った経緯(これは途中挿話という形で物語の進行とともに明らかにされる)などが記され、なぜ<院生>、<科学者>などの古めかしい名称がつかわれているのかの謎が明らかにされる。このあたりのSF的設定は、ある種の埋没した真実が明らかにされる過程で実に面白い。しかしインテグラル樹が空中に浮かぶ不思議な世界を想像するだけでもニヤニヤしてしまう。巨大な積分記号が樹になるなんて!一体何を積分するのだろうか?と思わず想像してしまった。ハードSF度が低い自分としてはそろそろ二ーヴンやフォワードあたりを読まないと、と思ってはいるのだが…。続編『スモーク・リング』も近々読む予定。圧倒的なヴィジョンのシーンが多い作品だけに、映像として見てみたい小説だけど、映像化は難しそうなので想像力だけで脳内変換しておきます。