書店員の恋



梅田みか『書店員の恋』(マガジンハウス)

装丁に惹かれて読む。たぶん撮影場所はCowbooksさん?かな。帯の売り文句(「どんな本も、その一冊を必要とする人がいる。誰にでも、その人を必要とする人がいる。」恋愛のカリスマ指南役、梅田みかが描く感動の書き下ろし小説)にはがっかりしたが、今の時代だからこそ書かれた感が強い小説という印象を受けた。主人公の翔子が書店員ということで、その設定だけで基本的には「同年代の金はないけど夢を追い続ける調理師見習いの彼氏のいる主人公が、何となく周囲の友人と比較しながら自分のことを考えていたら、携帯小説でデビューした歯科医のジェントルで大人(草食系)の男性があらわれて、翔子の心をかき乱す」話。友人たちの造形が割と典型的(不倫女子、セレブ婚狙いの女子ほか)で、翔子の優等生っぷりが鼻につく部分はある。しかしながら不思議と読み始めて、ストーリー展開は一瞬でわかるので読まないでもいいかな思ったら、個人的にいろいろと痛い経験がボディブローのように効いてきて、ある種後半はブルーになり、結果として読み終えたのだった。

以前見た映画で「ブロークン・イングリッシュ」というのがあったのだが、ふと感じたことは「後先考えずに追っていくことも、恋」なんだうとは感じたのはある。会いたいという思いというのは、不変のものである。揺れる心に選択を迫ったときに、どういうことになるのか、「恋人関係」というフレームワークに依存しながらも、この小説では割と本質をつかんでいるところがある。特に相手に何を求めるのか、近距離でも遠距離でも同じということなのだろう。そこにその人がいれば、それでいいというのが恋愛の本質であって、そうでなければ縁がなかっただけなのだろう。実際、ジェントルで金を持っている年上の優しい男性の存在というのは、人によっては揺れ動くものもあるだろう。しかし本質というのは一体何なのか、考えてみると実は「同じ目線で過ごすことができる人」というのが結果として対象になるのだろう。そういった意味ではドラマティックな恋ではなく、陽だまりのような場所を求めた恋愛の良さを描こうとした小説なのだろう。

翔子はミステリアスだがジェントルな青木に心惹かれ、押し倒されたらそのまま現恋人の大輔を切っていただろう(という描写がたくさんある)。逆に青木は様々な角度から彼女にアプローチはするものの、ナッシュ均衡的(相手の反応を所与として自らの行動を選ぶ最適反応的である)なアプローチをしたがために、結果としては草食男子ぶりを見事にアピールしてしまう。小説内では「青木からの連絡を待つ翔子」みたいな描写がたくさん出てきて、遠距離になって不安になる心境や、ドラマティックに演出できる大人なのだが同時に紳士的である青木の姿はあこがれに思えるのだろう。僕が興味深かったのは、自分がちょうど青木と同年代であることより、青木の対応に大変共感してしまったということだろうか。

250ページあたりの描写はいろいろと気付かされた。「いつものように、もっと強引に連れ去ってくれればどんなに楽だろうか」と「きみの手を引っ張って、どこかに連れて行くことができない」の二つの中で、恋人になるのか、尊敬される人になるのかという「境界」があるような気がする。もちろんこれはタイプによるのだが、この本に即して言えば「居場所になれる男性」なのか「包容力もあり、尊敬をしてくれる男性」を求めるのか、この本ではそのあたりの心理がよく描かれていて、なるほどよくかけているなーと思ったのだった。

正直たぶん大半の人は駄目判定を出す小説だけれども、個人的な体験の様相によっては悶絶する人もいるはず。僕は悶絶してしまいました。