グアルディア



仁木稔『グアルディア』(ハヤカワ文庫JA・上下)

映像化希望。バオー来訪者とか、バイオハザードとか色々と加わったゲーム映像が脳裏に。Jコレ版も持っていたのだけれども、ハンディになった文庫版で読了。壮大な愛憎の物語で、SFの準拠枠の中でラテンアメリカ文学の世界を展開する。濃厚な世界描写と守護者(グアルディア)として力を得たJDとその娘カルラの放浪の旅と再びラテンアメリカを解放し、統一をもくろむ<生体端末>アンヘル(天使)の二つのパートが奏でる、まるでオペラ(個人的にはヴェルディプッチーニの悲劇オペラの世界だ)のような物語である。文化が文化を飲み込み、人々は表面上は<解放>されても、文化という因習にとらわれたまま、世界はそのまま進化していく。それはまるで突然変異したウィルスが容赦なく人々を侵食していくように、南アメリカという<生命力が豊かな>世界を舞台とした、<愛>と<アイデンティティ>を求道する人々をガルシア=マルケスカルロス・フェンテスのようになまなましく描いていく。

本書の読みどころは、なんといってもグアルディアと生体機器の設定である。特に下巻での展開は、伊藤計劃ジャック・ヴァンスを髣髴させる容赦ないグロテスクな展開になっていく。因習の連鎖を断ち切るために、生体機器アンヘルが行ったこと。その設定こそが、おぞましくもあり、我々自身も自我に関して考えるきっかけを与える。繰り返し復活する生体端末とその生体端末を愛するメトセラ。めくるめく世界が継続し、フィードバックが継続していく状況は考えるだけに恐ろしい。連鎖を断ち切ることはある種メビウスの輪のねじれを断ち切り、無限から有限への操作に類似している点がある。物語の位相は、野阿梓の作品世界と同様に哲学が一本筋として通っており、軸がぶれていない小説だとぼくは感じた。

前半部はJDとカルラを取り巻く人々の物語だが、後半はアンヘルと巨大コンピューターサンティアゴの降臨である。物語の展開はマジックリアリズムの手法を利用して、悲劇的な位相(オペラ的)に収束していく。過去と未来がうまく連結し、回想を交えてアンヘル=アンジェリカの物語とJDとカルラの過去が明らかにされ、現在と過去の境界が曖昧になっていく。基本的にベースになるのは歪んだ愛であって、それは再帰的であり、帰納的な(ある種胎児に戻っていくように)愛の形でもある。ウィルスで汚染された世界に降臨する殺戮の天使たちの姿に共感する読者も多いはずだ。歪んだ世界を浄化し、解放する汚れの役割を果たす姿は読む者に感動を与える。サンティエゴ降臨の生贄のシーンや、容赦なく殺戮機械する守護者たち、サンティエゴ本体内部の歪んだ構造と正体のシーンは、ヴァンスのグロテスクだが目をそむけることのできない美しい描写にぞくりとさせられる。

まとめるとSF的アイディアがうまく組み合わさり、ラテンアメリカ文学マジックリアリズム的な設定をうまくSFの準拠枠に落とし込む。佐藤亜紀が解説で述べているようにラテンアメリカという地を選んだことにより、グローバルに文明の侵食と復活というテーマをさまざまな角度から考察しているのが面白い。特に本書の世界は、インディオ文明とスペイン語圏(南アメリカでも、シモン・ボリーバルの支配した地を舞台にしているため)の南アメリカの統一の物語がスーパーインポーズされているのも素晴らしい。そういった意味でも多層的に組み立てられた物語である。

ちょっと違和感があったとすれば、ダンスはタンゴ文化圏(アルゼンチンのみ)ではなくてサルサメレンゲ、バチャーダがコロンビアあたりでは盛んなので、ダンス描写についてはどちらかというと違うかな、という程度かな。特にコロンビアはサルサで有名な世界でもあるので。まあそれは小さなことで、大変面白かった。あと集中しないと、たまにわからなくなることがある(人物名で混乱したのは言うまでもない)のはある種ラテンアメリカ文学的なので仕方がないのだが。上巻よりも下巻が謎が解けていく感覚があるので、面白いのだが上巻の流れがないと確かに伏線が読めなくなるので、難しいところではあるかも。生体端末のいきさつを語る『ラ・イストリア』を早く読まねば。ということでラテンアメリカ文学が好きな人、SFファン(でもない人も)ぜひ読んでほしい一冊。