星々の蝶





ベルナール・ヴェルベール『星々の蝶』(NHK出版)

『タナトノート』ほかで有名な著者のSF。メビウスの表紙絵に惹かれて購入した。前半部はややかったるい展開だったが、地球を脱出するあたりから大変面白くなる。というのは、管理人が社会科学畑の人のせいか、宇宙船内部の社会形成とその展開について『宇宙船ビーグル号』以来興味があったからだ。宇宙船の中での役割分担、仕事分担、知識継承、社会の進化と退化のあり方が壮大なスケールで展開される。これはロバート・A・ハインライン『宇宙の孤児』(ハヤカワ文庫SF)を読んだ人は類似性を見出す可能性はあれど、ヴェルベールは社会の形成と人間の本質について鋭く批判を展開していく。地球自体が貧富の拡大、宗教戦争、民族戦争、環境破壊によってぼろぼろになっている状況で、主人公のイヴは独創的なアイディアで宇宙船をつくり、10万4千人の「選ばれた」人たちとともに脱出する。そこには、イヴがひきおこした事故によって下半身不随となったヨットレーサーのエリザベートも同伴する。

様々な妨害を受けながらもプロジェクトが進行し、徐々に地球脱出の準備ができるまでが物語の第一部。宇宙船の乗組員として選抜される基準も、統治倫理へのアンチテーゼになっていて面白い。健康であり、暴力性がないなどのいくつかの基準のもとで、健康な男子・女子が選ばれる。地球環境の絶望的な状況のもとで、統治者である国家の支配者たちはこのプロジェクトを阻止しようとする。市場メカニズムから生まれた宇宙船を支配下に置き、自分たちが利用するために、支配者たちは妨害活動を活発化させる。彼らの意図を知ったイヴとスポンサーのガブリエルらは脱出を敢行。地球からの脱出に見事に成功する。地球から離れていく宇宙船の中で、10万人以上の人々の巨大なコミュニティの運営がどのようになっていくのか、が第二部で、この部分はものすごく良い。

前半部のまどろっこしい展開(エリザベートとイヴの確執部)には辟易したが、宇宙船内部での社会ルールの形成と秩序形成について興味深い考察がヴェルベールによってなされている。牧歌的な社会の中で徐々に形成される所有権の問題、それと余暇と労働のトレードオフの関係、リラックスのための酒、女性をめぐる争いなど、イヴたちが否定しようとした「支配者の徳」が問題提起として登場してくる。つまり、「統治の倫理」の在り方である。この「統治の倫理」は団結の原理としてヴェルベールは紹介し、蟻の世界を代表させる。また「市場の倫理」として強者の原理をネズミに代表させる。動物の世界に例えるとこのように、二つの倫理のあり方が問題になる。われわれの社会は支配し、統治するという「統治の倫理」は競争し、生き残ったものが権利を獲得するという「市場の倫理」が共存・対立しながら発展してきた社会だといえる。

そのため思想が異なるグループが宇宙船内部の資源を求めて争ったりする展開になるのは、自然で、理想とされる社会は結局達成されず、退化していくことになる。ラストは6人の生き残り(女性1人、男性5人)だけになり、目的地であった世界へと男女のカップルが降り立つ。このラストは美しい(キリスト教の知識があると感動が深まるだろう)。社会科学をやっている僕にはこの小説は大変面白かった。というのは、社会の進化と退化をうまく象徴させている物語だったからだ。という意味でも、SF内部にある社会のあるべき姿と現実のかい離を見事に描いた作品。強くおすすめする。