ラギッド・ガール


飛浩隆『ラギッド・ガール』(ハヤカワ文庫JA

多くの人が読んでいるので今更なのだが、あまりにもよかったので感じたところを素直に書いておくことにした。Jコレで購入していたのだが、文庫落ちしたものも購入して、文庫で読了。『グラン・ヴァカンス』(ハヤカワ文庫JA)で、官能と痛み、世界の滅亡の圧倒的なSFヴィジョンを提示された、脳天を叩き割られたようなショックを受けたのだが、本書はそのグラン・ヴァカンスの世界の謎を取り巻く重要な中・短編が収録されたもの。コンピューターの世界に再現されたヴァーチャルなリゾート世界<数値海岸>(コスタ・デル・ヌメロ)に展開する各種リゾート地帯。グラン・ヴァカンスの世界は<夏の区界>だったが、本書では「コスタ・デル・ヌメロ」の成り立ちからはじまり、大途絶が起こった理由が明らかになる。その意味では本書は、<グラン・ヴァカンス>を構成するパズルピースの一つであり、本書から読んで、<グラン・ヴァカンス>に移行するのも良いかもしれない。

なんといっても圧倒されるのは「ラギッド・ガール」と「クローゼット」、「蜘蛛の王」のヴィジョンである。前者は<グラン・ヴァカンス>の成り立ちにかかわる重要な話だし、後者も<グラン・ヴァカンス>に出てくる<蜘蛛の王>ランゴーニの話だからだ。あらすじは説明するのは陳腐なので、語らないが、なんといっても飛作品の魅力は「登場人物とのシンクロニティ」と文章から感じられる感覚のすごさだろう。読者は強制的に、各物語の主人公と同一化し、ヴァーチャルな体験をそのままさせられることになる。それは禁忌に触れた感覚、まるでパンドラの函を開けてしまい、圧倒的な官能と痛みの世界へと引き込まれていく。ファンタジー作品でいうと、クライヴ・バーカーの<血の本>シリーズの感覚といえようか。圧倒的に醜い女性の体に包まれ、自己解体されるシーン、怪物にハックされ、力を得る少女などなど、とにかく「そうなりたくないけれども、そうなりたい」という愛憎した気持ちが交錯する、なんともいえない作品なのだ。

もう一つの魅力は、完璧(あるいは作られた)ものを破壊することの快感をこの作品はまるで麻薬のように覚醒させることである。それは「現実は右クリックできないこと」、世界の構造を覗き込み、それを解体・破壊し、作り変える感覚がこの本では可能になっている。この身体性の拡張の部分は、ヴァーチャル世界(数値海岸(というネーミングからもわかるように、数の体系が含まれた世界で、相当量の演算空間と考えることができるのは、物語の展開を見ていれば明らか)と現実社会との対応関係が本能ベースで対応しているというところが興味深い。各種演算がナチュラルな形で定義され、五感によって対応関係にある<グラン・ヴァカンス>の世界は、人の欲望を投影する空間でありながら、自律的なAIたちが生きる世界。ある種、カオス的な様相を保ちながらも、人間の欲によって成立した世界だといえる。それは「魔述師」で語られるエピソードで明確になっている。

柾悟郎菅浩江、イーガン、神林長平、ニール・スティーブンスン、大原まり子とは違い、どちらかといえばバラード的な文学的美しさを持つ日本SFの到達点の形を示したSFだった。続編がはやく読みたい!