光を忘れた星で

八杉将司『光を忘れた星で』(講談社

八杉さんの最新長編。まさか講談社Boxから出るとは思ってもおらず、びっくりしたのでした。本格的なハードSFで、当初はジョゼ・サラマーゴ『白の闇』(NHK出版)みたいな話かと思ったら、進化生物学的に社会構造を書いたSFでありました。この世界に住む人類はみな「目が見えない」という状況にあり、主人公マユリも退化した視力に代替する「無我の目」と呼ばれる感覚を得るための訓練を受けていた。ところがマユリはなかなかこの第三の能力が発現せず、親友のルーダが能力を開花し、二人の友情の間に亀裂が生じ始める。そんな状況に耐えられなかったマユリは、能力を発動したルーダを追い求めて、施設より(事故的に)逃亡する形になってしまう。はたしてマユリの運命はいかに?

ある惑星に移住した人々が、世代を継承していくうちに全盲になっていく、という設定がM・Z・ブラッドリーの<ダーコヴァー年代記>の惑星環境に順応したダーコヴァー人のようで面白い。ところがなぜ全盲がESS(進化的に安定な戦略)になったのか、そのあたりの理由付けがほしかったと思う。遺伝子の多様性に大きな偏りができた理由が、惑星の過酷な環境であるという前提のもとで視力が欠損した遺伝子が優性になり、視力が欠損・退化していくという理由づけがあれば、さらに納得がいったものになったと感じる。というのは、目を退化させることが進化的に安定的になったのか、という理由がないため、物語の仮定にはある種ジョゼ・サラマーゴ的(突然人々の目が見えなくなる)である。そのためこの遺伝子の変異を仮定したうえで、物語は視力がなく、文明化したものと無我の目を開眼したが蛮人である二つのグループの対立軸へと収束していく。そのため、視力を得られなかったグループが他との差別化をするため、眼球を残している人々を「目玉つき」とし、目玉を除去する社会的な規範を発達させ、社会を形成するあたりがリアルである。その意味で、社会構成と生物学的な均衡が徐々に不均衡化し、再び優性になっていくというダイナミクスが感じられるのが良い。その意味で、進化ゲーム理論と習慣のダイナミズムが物語の根底にあるように感じられ、その二つを書いていこうとした著者の努力を強く感じた。

「なぜ、この人たちは視力を失うような状況になり、それが生物学的進化として優性になったのか」という背景がさらに書かれていれば、ものすごい傑作だったのだが…。視力を失ったときに、人々がどういう世界にあるのか、そういう生々しい息遣いが感じられる新感覚なSFであった。Jコレではなく、講談社BOXから出たのがちょっとびっくりなのだが、ぜひ書店で捕獲してほしいと思う。