異次元創世記 赤竜の書



妹尾ゆふ子『異次元創世記 赤竜の書』(角川スニーカー文庫

私たちの周りには、さまざまなモノが存在し、言葉によって名づけられている。例えば、ル=グィンのゲド戦記では、真の名前を知られてしまうと、真の名を知るものによって従属させられてしまう。それくらい、言葉によって名指しされ、規定されるということは実はものすごいポテンシャルを秘めた行為だといえよう。本書の世界観には、シニフィエシニフィアンの関係をうまく利用しながら、言葉に秘められた力を描いた作品といえる。

物語は魔物によって父親を殺害された聖なる墓森の番人の娘が、助けを求めたときに、伝説の民であるイーファルと出会い、危機を脱する。その一方で、竜使いの末裔ジェンは古の言葉を祖父から学び、竜使いとしての素養を高めていた。そんなある日、彼の村に「剣」を盗んだ剣士が現れ、彼は剣を盗んだ罪で餓死の刑に処せされる。ところが巡使の刑罰に反発したジェンと親友のウルバンは彼に食事を与えることに。そんなある日、ウルバンとは別行動をとっていたジェンは、魔物に遭遇してしまう…。九死に一生を得た彼は麗しきイーファルと墓森人の娘に遭遇。そして彼の運命は定まっていく。

物語の<秩序>が崩れてしまうのは、本を動かすことによって行われる。そこで竜使いの能力を持つジェンが意思によって言葉を獲得し、世界を再構成していく感覚が味わえるのが素晴らしい。日常が変化し、物語がジェンによって紡がれていく、その感覚が本書後半の魅力だといえる。その意味で、丁寧に構築された物語のコア要素が生かされていくのだなぁというわくわく感がある。のちに知ったのだがEXノベルズで出ていた『真世の王』の前日譚らしいので、早速読んでみたいと思う。

月ジェット作戦

小隅黎『月ジェット作戦』(金の星社

購入するまで「つきじぇっとさくせん」だと思っていたら、「むーんじぇっとさくせん」だったということを知り、大衝撃を受ける。とある古書店より、プレミア価格で購入。プレミアの額は言いたくないが、収入が増えて大人買いできるうちに買っておく本の一冊だと感じたためもある。今回はようやく、長年探していた本を入手して、読むことができて感無量。きっと幼少期に読んだら、きっとものすごい衝撃を受けたであろう。ハードSFの紹介、日本SF界で偉大な役割を果たした小隅先生のジュヴナイルSFである。我々になじみの深い「月」を舞台に、表題にあるようなあっと驚くSFアイディアには度肝を抜かれる。巻末の瀬川昌男氏がネタバレ的な解説を書いているが、このアイディアは実はありえないことではなく、本書を読んで、スケールに圧巻した。身近な存在である「月」に起こるとんでもない壮大なからくり。そしてイーガンを先取りするあるアイディアにも改めて脱帽すると同時に、小隅黎先生のヴィジョンの豊かさに改めて畏敬の念を抱きました。

本書の魅力はなんといっても、社会システムの設定がリアルであるということ。社会システムを取り扱うSFを書く小川一水さんの作品でも見られるのだが、何らかの対立軸を設定し、対立し、調和していくプロセスがきちんとある種の民主的手続きを踏んで、解決していく。世界政府と呼ばれる汎人類政府と各国政府の国粋勢力の二つが対立する世界の中で、「第六大陸」となった月にまつわるある発見と小さな事故が全人類を巻き込む大きな事件に発展していく。そこで宇宙好きの孤児であった主人公のトシオが、「少年クイズマン・チャンピオン」に同率チャンピオンに選ばれ、「世界政府派」の川原博士の講演会である出会いをすることになる。ここから物語が急展開していく。

今のグローバリゼーションでの地域主義とグローバル主義の対立を予想していたかのような設定。緊縛した空気の中で、主人公のトシオは大きな人生のターニングポイントとなる事象に巻き込まれていく。月の利用を巡って、世界政府と各国政府の対立が起こるのだが、ある種の共有地の悲劇を早期させる。そのため上部機関として存在する世界政府の管理に不満を持ち、占有権を主張する各国政府が反発する中で、月に起きたある事件がその抑止につながることになるのだが、このネタはまさにイーガン的。ただこれは人それぞれラストあたりを読んだときの衝撃は一様ではないので、ここではあくまでも「自分」がそのような印象を受けた、ということだけを述べておく。1969年に書かれた内容とはまったく感じさせない、SFの良さを前面に押し出した名作である。著者の想いが十分に生かされており、わくわく感を感じさせる、そんなSFだった。

月ジェット作戦



小隅黎『月ジェット作戦』(金の星社

購入するまで「つきじぇっとさくせん」だと思っていたら、「むーんじぇっとさくせん」だったということを知り、大衝撃を受ける。とある古書店より、プレミア価格で購入。プレミアの額は言いたくないが、収入が増えて大人買いできるうちに買っておく本の一冊だと感じたためもある。今回はようやく、長年探していた本を入手して、読むことができて感無量。きっと幼少期に読んだら、きっとものすごい衝撃を受けたであろう。ハードSFの紹介、日本SF界で偉大な役割を果たした小隅先生のジュヴナイルSFである。我々になじみの深い「月」を舞台に、表題にあるようなあっと驚くSFアイディアには度肝を抜かれる。巻末の瀬川昌男氏がネタバレ的な解説を書いているが、このアイディアは実はありえないことではなく、本書を読んで、スケールに圧巻した。身近な存在である「月」に起こるとんでもない壮大なからくり。そしてイーガンを先取りするあるアイディアにも改めて脱帽すると同時に、小隅黎先生のヴィジョンの豊かさに改めて畏敬の念を抱きました。

本書の魅力はなんといっても、社会システムの設定がリアルであるということ。社会システムを取り扱うSFを書く小川一水さんの作品でも見られるのだが、何らかの対立軸を設定し、対立し、調和していくプロセスがきちんとある種の民主的手続きを踏んで、解決していく。世界政府と呼ばれる汎人類政府と各国政府の国粋勢力の二つが対立する世界の中で、「第六大陸」となった月にまつわるある発見と小さな事故が全人類を巻き込む大きな事件に発展していく。そこで宇宙好きの孤児であった主人公のトシオが、「少年クイズマン・チャンピオン」に同率チャンピオンに選ばれ、「世界政府派」の川原博士の講演会である出会いをすることになる。ここから物語が急展開していく。

今のグローバリゼーションでの地域主義とグローバル主義の対立を予想していたかのような設定。緊縛した空気の中で、主人公のトシオは大きな人生のターニングポイントとなる事象に巻き込まれていく。月の利用を巡って、世界政府と各国政府の対立が起こるのだが、ある種の共有地の悲劇を早期させる。そのため上部機関として存在する世界政府の管理に不満を持ち、占有権を主張する各国政府が反発する中で、月に起きたある事件がその抑止につながることになるのだが、このネタはまさにイーガン的。ただこれは人それぞれラストあたりを読んだときの衝撃は一様ではないので、ここではあくまでも「自分」がそのような印象を受けた、ということだけを述べておく。1969年に書かれた内容とはまったく感じさせない、SFの良さを前面に押し出した名作である。著者の想いが十分に生かされており、わくわく感を感じさせる、そんなSFだった。

不動カリンは一切動ぜず


森田季節『不動カリンは一切動ぜず』(ハヤカワ文庫JA

SF設定(感染すると遺伝子が改変されてしまうHRVが蔓延している世界)とオカルト(神との対話)が融合した百合小説。小説設定における各種のSF的設定が内世界および社会システムにうまく融合しており、神戸周辺(垂水〜六甲山)のコミュニティとの自然的な融合を描いていく。そのナチュラリティが、「神」という形で具現し、降臨する。小説の読みどころは、主人公の火輪と周囲を取り巻く人たちのコミュニケーションと心の交流を描くことにある。セックスがリスキーな行為となった世の中で、試験管での受精(クレイドルから生まれてきた子供を市役所からもらう制度もある)がもっとも安全な子孫の残し方の中、セックスをするためにはどうすればよいのかという疑問が生じてくる。この本では、自分のDNAを使った「腹子」を作ることで、自分の遺伝子プールに近い「将来の配偶者」を得るという解決法を提示している。この設定こそが秀逸で、物語の軸となるある人物の出生起源が「腹子」であることが、実に大きな意味を持ち、主人公の不動火輪(カリン)および、彼女の親友兎譚の性格形成に大きな意味を与える。子供たちは思念による会話が可能になっていて、ある種携帯が一段階発展したものに近い感覚がある。

このような設定のもと、本書は破滅SFの流れに沿いつつも、精神世界という新たなベクトルを導入することにより、個人と世界、個人と個人の間のコミュニケーションへの考察が行われている。「家族」というものが意味をなさなくなった世界で、どう人々が絆をつくるのか、そしてその絆には何かしらの「覚醒」が要求されるのかなど、著者独自のコミュニティ感がうまく反映されていて、実に面白い。徹底した幸福(効用)の最大化による、組織の分割と個の細分化(そのため、個を分解して多重人格となり、その多重人格が「それぞれの効用を最大化する」)による効用最大化のアイディアはユニーク(ただし、各人格がきちんと効用を最大化しつつも、多人格同士が「メイン」となる人格を尊重しなければ、一つの器の中で効用を最大化している「競争的な」多重人格になる恐れもある。その状況はスキゾ的で、個性の間での調整費用が高いものになっている(つまり、競争の過程)。その意味では効用を最大化している人格の使い分けというアイディアは、個人という概念をさらに分割していくという意味でもユニークである。

物語はカリンの親友である兎譚が失踪したことから、大きな展開を見せていく。前半部のストーリー展開は社会システムとカリンの心の動き、そして「情報過多なのは無駄。単純に物事を考える」という原始的なコミュニティ回帰を唱える無欲会に属する情報過多統合症の若き暗殺者の言葉の葛藤、犯罪によってある種の国家奉仕を義務づけられている「強制善人」の存在など、実に面白い。個人主義とコミュニティ主義、それを調整し、統治する国家という思想の三者の変容という点においても、新たな視点を提示することに成功し、読者に新社会における個の在り方を問いかけている。政府による監視社会という暗いディストピアの設定が生かされている中で、後半は不動カリンの内的世界の話になるので、設定が少し利用されなくなるのはもったいない。主人公たちのネーミングのつけ方も面白いし、ある種ネットワーク社会の個の在り方も暗示しているので、様々な設定が生かされていることも感じるだろう。ディストピア小説なのだが、不思議とそんな感覚を与えないのが謎なところだが、たぶん社会を書くより個人に還元したことで、ディストピアのバッファーを緩めた感はある。

その意味では、ラノベではできなかったことを、ハヤカワ文庫JAという枠組みでのびのびと書いた印象を受ける。そのため対象とする年齢層はやや上であるが、『アッチェレランド』や『フェアリイ・ランド』を地元レベルに落として、展開を「垂水〜六甲地域」に限定したところが、物語を閉集合的にうまく囲い込んでコンパクト(集合という意味でも)にできたのではないか、と感じた。著者のデビュー作も購入したので、時間を見つけて読むことにする。ハヤカワ文庫JAラノベ出身の作家が活躍するのは、SF小説界に活を入れる意味でもプラスなので、どんどんやってほしい。著者の今後が楽しみである。

不動カリンは一切動ぜず




森田季節『不動カリンは一切動ぜず』(ハヤカワ文庫JA

SF設定(感染すると遺伝子が改変されてしまうHRVが蔓延している世界)とオカルト(神との対話)が融合した百合小説。小説設定における各種のSF的設定が内世界および社会システムにうまく融合しており、神戸周辺(垂水〜六甲山)のコミュニティとの自然的な融合を描いていく。そのナチュラリティが、「神」という形で具現し、降臨する。小説の読みどころは、主人公の火輪と周囲を取り巻く人たちのコミュニケーションと心の交流を描くことにある。セックスがリスキーな行為となった世の中で、試験管での受精(クレイドルから生まれてきた子供を市役所からもらう制度もある)がもっとも安全な子孫の残し方の中、セックスをするためにはどうすればよいのかという疑問が生じてくる。この本では、自分のDNAを使った「腹子」を作ることで、自分の遺伝子プールに近い「将来の配偶者」を得るという解決法を提示している。この設定こそが秀逸で、物語の軸となるある人物の出生起源が「腹子」であることが、実に大きな意味を持ち、主人公の不動火輪(カリン)および、彼女の親友兎譚の性格形成に大きな意味を与える。子供たちは思念による会話が可能になっていて、ある種携帯が一段階発展したものに近い感覚がある。

このような設定のもと、本書は破滅SFの流れに沿いつつも、精神世界という新たなベクトルを導入することにより、個人と世界、個人と個人の間のコミュニケーションへの考察が行われている。「家族」というものが意味をなさなくなった世界で、どう人々が絆をつくるのか、そしてその絆には何かしらの「覚醒」が要求されるのかなど、著者独自のコミュニティ感がうまく反映されていて、実に面白い。徹底した幸福(効用)の最大化による、組織の分割と個の細分化(そのため、個を分解して多重人格となり、その多重人格が「それぞれの効用を最大化する」)による効用最大化のアイディアはユニーク(ただし、各人格がきちんと効用を最大化しつつも、多人格同士が「メイン」となる人格を尊重しなければ、一つの器の中で効用を最大化している「競争的な」多重人格になる恐れもある。その状況はスキゾ的で、個性の間での調整費用が高いものになっている(つまり、競争の過程)。その意味では効用を最大化している人格の使い分けというアイディアは、個人という概念をさらに分割していくという意味でもユニークである。

物語はカリンの親友である兎譚が失踪したことから、大きな展開を見せていく。前半部のストーリー展開は社会システムとカリンの心の動き、そして「情報過多なのは無駄。単純に物事を考える」という原始的なコミュニティ回帰を唱える無欲会に属する情報過多統合症の若き暗殺者の言葉の葛藤、犯罪によってある種の国家奉仕を義務づけられている「強制善人」の存在など、実に面白い。個人主義とコミュニティ主義、それを調整し、統治する国家という思想の三者の変容という点においても、新たな視点を提示することに成功し、読者に新社会における個の在り方を問いかけている。政府による監視社会という暗いディストピアの設定が生かされている中で、後半は不動カリンの内的世界の話になるので、設定が少し利用されなくなるのはもったいない。主人公たちのネーミングのつけ方も面白いし、ある種ネットワーク社会の個の在り方も暗示しているので、様々な設定が生かされていることも感じるだろう。ディストピア小説なのだが、不思議とそんな感覚を与えないのが謎なところだが、たぶん社会を書くより個人に還元したことで、ディストピアのバッファーを緩めた感はある。

その意味では、ラノベではできなかったことを、ハヤカワ文庫JAという枠組みでのびのびと書いた印象を受ける。そのため対象とする年齢層はやや上であるが、『アッチェレランド』や『フェアリイ・ランド』を地元レベルに落として、展開を「垂水〜六甲地域」に限定したところが、物語を閉集合的にうまく囲い込んでコンパクト(集合という意味でも)にできたのではないか、と感じた。著者のデビュー作も購入したので、時間を見つけて読むことにする。ハヤカワ文庫JAラノベ出身の作家が活躍するのは、SF小説界に活を入れる意味でもプラスなので、どんどんやってほしい。著者の今後が楽しみである。

ロマンシングサガ ミンストレルソング 皇帝の華


妹尾ゆふ子ロマンシングサガ ミンストレルソング 皇帝の華』(スクウェア・エニックス

うさぎ屋さんのロマンシングサガストーリーのノベライズ本。今回本の整理で出てきたので一気に読了した。大変面白かった。ノベライズという形態なので敬遠する人も多いかもしれないけど、吟遊詩人のバラードの如く流れる、風のような物語だった。脳裏にロマサガの音楽が流れながら、ゲーム世界と小説世界のはざまでにやにやしながら読む。吟遊詩人の活躍を生き生きと描くことができる作家、妹尾ゆふ子さんにロマサガのノベライズを依頼したスクウェアエニックスはよい仕事をしたと素直に思う。ちなみに、ゲーム自体は昔にやりこんだ(で、音楽がものすごく好きだった)わけだが、物語は完全に失念。興味のある人はぜひこのページを見てほしい。ロマンシングサガの世界がまとめられている。

皇帝レリアの姿は、人気シリーズ<翼の帰る処>の隠居願望の強いヤエトに通じるところがあり、読めてよかった。母からうとまれ、いつでも殺されておかしくない状況のもとで過ごす主人公レリア。彼は図書館で法務官ヘルマンと出会い、彼の叱咤激励をうけ、本から世界を学ぶ。こうして処世術を身につけていく。彼にはのちに、北バファルで貴族となる護衛、バルハル族のローザ(ロマサガ1のアルベルトは彼女の血を受け継ぐ)に護られ、国内の不穏な動きを解決していく。処世術に長けた皇帝、忠実(愛を伴う)な護衛との関係が、需要と供給の一致という形で美しく描かれる。

ロマサガの世界の設定を咀嚼しながら、キャラの造形をし、見事な解釈を加えた吟遊の物語だ。吟遊詩人の語りから始まり、間奏という形で挿入され、レリア4世とローザ、レリアをとりまく護衛の華たちの姿が生き生きと詠まれる。そして最後には美しく、過去から現在へと「歌」を通じて引き継がれる。ノベライズという制約条件の中で、すべての条件を見事に使い、オリジナルの物語に昇華させた物語である。ローザの設定、レリア4世の女好きなどの設定は、きちんと受け継がれる。特にローザのレリア4世に対する「愛」の形までもが、北バファルのクリスタルレイク周辺の領地を望むことで、あらわされ、理由づけもなされているのも素晴らしい。歴史はすぐれた物語によってなされ、それが継承され、私たちの中で神話になっていくということを強く感じさせる物語だった。安定してお勧めできる一冊です。ゲーム原作の別ノベライズの本も買ったはずなのだが出てこないので、なければ購入しないとな…。

ロマンシングサガ ミンストレルソング 皇帝の華




妹尾ゆふ子ロマンシングサガ ミンストレルソング 皇帝の華』(スクウェア・エニックス

うさぎ屋さんのロマンシングサガストーリーのノベライズ本。今回本の整理で出てきたので一気に読了した。大変面白かった。ノベライズという形態なので敬遠する人も多いかもしれないけど、吟遊詩人のバラードの如く流れる、風のような物語だった。脳裏にロマサガの音楽が流れながら、ゲーム世界と小説世界のはざまでにやにやしながら読む。吟遊詩人の活躍を生き生きと描くことができる作家、妹尾ゆふ子さんにロマサガのノベライズを依頼したスクウェアエニックスはよい仕事をしたと素直に思う。ちなみに、ゲーム自体は昔にやりこんだ(で、音楽がものすごく好きだった)わけだが、物語は完全に失念。興味のある人はぜひこのページを見てほしい。ロマンシングサガの世界がまとめられている。

皇帝レリアの姿は、人気シリーズ<翼の帰る処>の隠居願望の強いヤエトに通じるところがあり、読めてよかった。母からうとまれ、いつでも殺されておかしくない状況のもとで過ごす主人公レリア。彼は図書館で法務官ヘルマンと出会い、彼の叱咤激励をうけ、本から世界を学ぶ。こうして処世術を身につけていく。彼にはのちに、北バファルで貴族となる護衛、バルハル族のローザ(ロマサガ1のアルベルトは彼女の血を受け継ぐ)に護られ、国内の不穏な動きを解決していく。処世術に長けた皇帝、忠実(愛を伴う)な護衛との関係が、需要と供給の一致という形で美しく描かれる。

ロマサガの世界の設定を咀嚼しながら、キャラの造形をし、見事な解釈を加えた吟遊の物語だ。吟遊詩人の語りから始まり、間奏という形で挿入され、レリア4世とローザ、レリアをとりまく護衛の華たちの姿が生き生きと詠まれる。そして最後には美しく、過去から現在へと「歌」を通じて引き継がれる。ノベライズという制約条件の中で、すべての条件を見事に使い、オリジナルの物語に昇華させた物語である。ローザの設定、レリア4世の女好きなどの設定は、きちんと受け継がれる。特にローザのレリア4世に対する「愛」の形までもが、北バファルのクリスタルレイク周辺の領地を望むことで、あらわされ、理由づけもなされているのも素晴らしい。歴史はすぐれた物語によってなされ、それが継承され、私たちの中で神話になっていくということを強く感じさせる物語だった。安定してお勧めできる一冊です。ゲーム原作の別ノベライズの本も買ったはずなのだが出てこないので、なければ購入しないとな…。