郵便屋



芹澤準『郵便屋』(角川ホラー文庫)

いまさらながら、第一回日本ホラー小説大賞佳作を読む。携帯メールの時代になると、流石に本書は陳腐化をまぬがれない。ある程度この賞の作品はフォローしていたけど、佳作については放置していたことが多い。ともあれ、できる限りこの賞は読んでおきたいのでなんとかしたいところではある。ただ本作品は、読まないでも特に支障はないタイプの小説なので(作者には悪いのだが)、なんとなくつらつらと記しておこう。読み終えて感じたのは、佳作どまりで終わってしまったのもむべなるかな、である。つまらなくはないけど、大賞にはならないなあという感じの話。こういうタイプの話は都市伝説系の物語として処理されるタイプの物語で、日常から狂気の過程を通じて非日常へと転換していく。ただ狂気のところでの描写はこの作品、妙に生々しくて嫌な気分になってしまうことが多く、その点については大変よかったと思う。どちらかというと、沙藤一樹系の描写というのだろうか。

一言でいえば「怨念の実行メカニズム」のプロセスを描いた物語である。

時代錯誤の服装をした郵便屋が、昔ながらの丸ポストに投函された手紙を回収する。そこには、何も書かれていない手紙。郵便屋はその手紙を見てにやりと笑う。その表情が物語るように、すべてがわかっていることを示していた。営業職をやっている主人公の和人の車の前に飛び出す郵便屋。それはまさに不吉を象徴するような出来事だったが、彼の前にその郵便屋が一通の手紙を配達してから世界は変化していく。そこに書かれていたのは「ひとごろし」と。

過去を配達するというアイディアはよくあるのだが、そこをひとひねりしているのがよい。都市伝説に昇華できるレベルでこの「郵便屋」の存在は忘れられない。ある種、人々の怨念が作り出した「存在」たちであるということを醸し出しているだけで、いかにこの人間社会が複雑な「人と人との間」にネットワークが構築されているのかを想起させる点でもずいぶん怖い。もしかするとこの小説に示唆されるような「うらみはらさずおくべきか」システムという、怨念を開放する目に見えない「実行」システムがあるのかもしれない、と感じる。そういう存在を示唆しつつも、実はなぜそういうシステムができたのかということには、制約上触れられないのは仕方がないのかもしれない。むしろ本書で描かれているような実行メカニズムのほうに興味を持つ人も多いはずである。本書は「いじめによる死」という報いに対して、いじめに参加した主人公たちに与えられる懲罰メカニズムを記した本といえる。ところがこのメカニズムには、自然に「殺された側の恨みが大きい」という状況がナチュラルに仮定されていて面白い。いじめによって若年期に死んでしまった依頼人については、自分の人生について「もし生きれたのであれば得られた人生の価値」分だけ利子が付いており、それがほかの5人の連中の寿命と比べても重いのであれば、コスト・ベネフィットによって実行すべきであるというのが、「郵便屋」のメカニズムである。

あなたの人生とは、さまざまな機会費用トレードオフによる遺失価値によって成立していることに注意しよう。つまり郵便屋はそれすらできずに殺されてしまった人のエージェントとして動き、実行するメカニズムだといえる。まさにメカニズムデザインが意図するところの「実行者」なのである。どのように懲罰を課して、効率的な懲罰スキームにするのかというのが実に効果的に描かれている。そういった意味でも興味深い描写が多い。その方法が「手紙」(今ならばe-mailだろうが)であって、なんとなくではあれど怨念というメカニズムがなんであろうかという点について考えさせられる一冊であった。