一箱古本市の歩き方



南陀楼綾繁『一箱古本市の歩き方』(光文社新書)

千駄木・谷中の一箱古本市に参加したことがある。その提唱者、開始メンバーの一人である南陀楼綾繁氏が一箱古本市というイベントを始めた経緯について語り、今後の展開について思うところを記した本。本が好きで、読書という文化をすたれさせないためにもユニークな試みは重要で、南陀楼氏がまいた種は確実に全国に拡散・浸透しつつある。

本が好き、というのは本の中に内包する物語世界の楽しさや、著者の思い入れなどが凝縮されていて、そこと親和して重なり合っていくことではないかと感じる。そしてそれを「一箱」という制約の中で厳選した本を他人に売るという行為は、ある種自分のこだわりや満足を他人に伝えるステキナ行為だと僕は感じている。市販されているブックガイドやウェブの書評とは違い、直接一冊の本を巡るコミュニケーションによって相対取り引きされることに、その人の人生や興味などの小宇宙を感じることができるからだ。普通に谷中・千駄木の出店者さんたちの本を覗いているだけでも、楽しい。ある人は美術だったり、歴史だったり、文学だったりと多様な小宇宙が展開している。新たな本の海への航海をするために、自分の所持した本を売るという行為によって、自分のこだわりや想いのつまった小宇宙が他人の手に譲渡される。それは時代や空間を超えて、人間が生き続ける限り引き継がれる行為のように思える。

一箱古本市のユニークなところは、中古品は相対的に入手しやすく商品バラエティに富む(そういう意味では本とは私的価値で価値が決まる。たとえばオークションである本がものすごく高く売れる理由は他人と自分との本の価値の乖離にある。つまり個人の総支払用意と他人の総支払価値の違いが重要になるわけである)ため、私的にはかなり価値を置いている本が安く買えるなどの「消費者余剰」の最大化が可能であることが多い。一箱古本市はそのような場を提供することにより、余剰の交換の場として働いているということである。そのためさびれた商店街や地方で一箱古本市が起こるということは、上記の効果に加え正の外部効果(噂によるネットワーク外部性など)のフィードバックもあり、それが人々の期待を高め、本好きが本に対して相対的に価値を置いていない人たちにも影響を与える効果をもたらしていると考える。南陀楼氏はそういう意味で、試行錯誤しながらも余剰交換のバザールを創出したことにより、本を通じた交流に成功したと感じる。

また本書ではフリーペーパーや能動的な読者(ブロガーなど)についても面白い考察を行っている。DTP技術の発展、文学フリマのような試みの発達など、フリーペーパーに関しては全体としてイメージが変容しつつある気がする。同人誌にはコアなファンがつくが、フリーペーパーの場合金銭的なダメージは商業誌とは異なりないので(無駄になるのは時間だけ)、機会費用+金銭価値という意味で商業誌よりはコストは低い。つまり何かをやるためにはコストが必要であり、商業誌書評などで外れた時に頭にくるのは機会費用+商品価値だからだと僕は最近感じるようになった。コストと便益の観点で考えれば、能動的な読者が評する書評が多少だめでも損な気分にならないのは、機会費用分のロスだけだからだと思う。商業誌ベースでよいと思える書評は的確にその本のセールスポイントを扱いながらも、悪い点も加味したうえで「総合的に見てすぐれている」と評されるものだと思う。

と最後は蛇足になってしまったが、ブックイベントはネットワーク外部性を目指した動きなので今後も発展することを祈ってやまない。